島津中務大輔家久肥前に攻入り、島原の城を攻落したる所に、龍造寺隆信大軍にて押寄せたり。家久僅に三千許なりしを幾重とも無く取り圍む。家久是を物ともせず。明日の合戰吾先陣すべし。貝を相圖に切り懸るべし、と定めて夜の明くるを待つ。朝霧深く物の色も分たず。家久將机に倚りて晴間を待ち、稍朝日出て晴渡りしに、子の又七郞豐久十五歲になりけるを近附け、天晴武者振よ。只上帶の結び斯くするものぞ、とて結び直し、脇差を抽いて其端を切りて後、よく聞け、若し軍に打勝つて打死せずば此上帶我解くべし。今日の軍に屍を戰場に曝さんに、島津が家に生れたる者の思ひ切つたりと敵も知り、我も黃泉に悅ばん物を、と言ひも敢へず貝吹き立てさせ、眞先に隆信の旗本へ切つて懸る。島津家の弓箭は先駈の兵は矢一筋持たせ、射放ちて弓を捨て長き刀を抽いて切つて懸る。今日も又而したりけり。隆信の旗本亂れ立ちて敗北すれば、隆信、蓬し返せ、と下知し、遂に蹈み止り討死せられけり。家久勝ちて誇らず、人數を纏め陣を整へける所に、龍造寺の臣惠藤某首一つ血に染みたる刀に持添へ、大將は何國に御座まし候ぞ。功名の印の候、と云ひて家久に近附寄り、首を投捨て馬の上なる家久を一太刀斬りたりしに、家久心疾く馬より飛下りたれば、左の草摺を切つて餘る刀膝に當りけり。惠藤を中に取り込めて討たんとすれば、家久、可惜者を討つな、と下知しければ、生捕らんとすれども素より今日を最後と思ひ定め、切つて廻りし程に終に討たれけり。惠藤とのみ言ひて名をば名乘らず。家久惠藤が首を膝の上に置き、並び無き剛の者、義勇の士とは是をこそ言ふべけれ。生捕りて對面し龍造寺に送り返さんと思ひしに、思ひ切つたる戰死せられしかば力及ばず、とて近所の僧を請じ、惠藤が弔の事念比に沙汰し、其有樣詳に記して、其僧に賴み故鄕に遣られけり。偖豐久を呼びて、今朝の約の如く上帶を解きたりしとかや。家久は島津家の士大將なり。豐久後又中務と稱したり。關ヶ原に於いて義弘の身に代り討死有りしは此人なり。