本多中務大輔忠勝に、上總の小瀧十萬石を賜はりしかば、小瀧に赴き、土岐彈正少弼賴定入道慶岸の士共を呼び出して祿與へたり。彈正は同國萬喜の城に居し故、世には萬喜少弼と稱して武勇の譽有りし人なれば、此を問ふに、舊臣申すは、萬喜常に房州の里見義高と弓箭を取候が、敵を怠らせん爲に舞臺を設け、踊を爲せ、城門を明けかふるとて果さず、船著の險しきを平し候。里見が將正木大膳時綱寄せ來り船より上る時、慶岸城に飾りたる紙旗を絹の旗に立て換ふると等しく、古き門より不意に討て出で、忽ち切り崩したり。是より土岐が地に攻め入る事候はず、と語りければ、忠勝聞きて、土岐は甲越の兩雄將にも劣らぬ人なり、と稱し、其後舊臣に其の家の事を問ふ時は、必ず萬喜殿とぞ言はれける。