天正六年秀吉播州三木の別所長治を擊つ時、谷大膳は濱手の大將たり。兼て大膳は寄騎にと秀吉望まれしか共、信長許されずして加勢たらしめらる。大膳、敵三騎と馬上にて鎗を合せ皆討取りたり。秀吉、疾かさの丸出丸の名なり攻められよ、といへば、大膳、城堅固にして容易に攻取り難し、と答ふ。秀吉、日頃勇名高き大膳、小城一つ破り兼たるや、と詞を懸けられければ、大膳も怒り、秀吉も旣に刀の柄に手を懸くべき色なりしかば、竹中半兵衞立塞がり、戰場の勝負こそ力を盡すべきに如何なる事ぞ、といふ處に、蜂須賀彥右衞門も來りて秀吉の轡を取て押返す。夜に入りて秀吉酒肴を持たせて大膳が陣屋に至り、今日の武功拔群なり。先の問答は我過にて、後悔大方ならず、とて懇情甚し。其後大膳手勢を率てかさの丸へ攻めかゝる。城中も此處を大事と防ぎ、矢石を打出せども大膳少しもひるまず。士五十騎步卒二百許、一の城戶口を押破りたれば、手負死人數を知らず。寄手押續けば大膳念なく乘破りたるが、數ヶ所手を負ひて踞き居たる所に、法師武者猩々緋の羽織著たるが、引返して大膳に向ふ。大膳、吾疲れたり。近寄りて首を取つて高名にせよ、と言ふを聞き、走懸りて一太刀打つ。大膳敵の草摺を取つて引寄せ、脇差を抽きて刺貫く處に、別所が士大將由井小兵衞、と名乘りて引返して馳來り、大膳を一太刀斬りたり。斯る處へ大膳が嫡子出羽守十七歲なるが走寄つて、疊みかけて由井を打つて芝居に打据ゑ、押へて首を取り父に向へば、大膳は息絕えたり。出羽は父の死骸を陣屋に入れ、取りたる首を秀吉の實撿に備ふ。秀吉大膳が討死せし由を聞きて、せめて死骸になりとも對面せん、とて陣屋に行き、惜き人を討たせけるよ、とて淚に咽ばれけり。