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○塚原卜傳劍術鍛煉の事

卷之二十三 第4話 · 段落 1 · NDL 1078984 353コマ L

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塚原卜傳は常州塚原の人なり。父を新左衞門といへり。卜傳劍術を飯篠長意に稽古し、伊勢の國司に仕へ、劍術を以て名を得、光源院殿の師たり。其後上野の上泉伊勢守といふ劍術者あり。上泉は新蔭流の妙手也卜傳また上泉にも學びたり。卜傳が弟子の中に勝れたる者に、一の太刀の極意を授くべしと人も思ひけるに、彼弟子或時、道の傍に繋ぎたる馬の後を通りけるに、彼馬跳ねたりしに、ひらりと飛退きて身に中らず。見し人さすがに、塚原が弟子の中にも勝れたるよと言ひしに違はず、と譽めて卜傳に語りけるに、卜傳大に驚きて、さては一の太刀授くべき器にあらず、と言ひけり。諸人此事を不審して、試よ、とて類無き跳馬を道の傍に繋ぎ、卜傳を招きて側に隱れて見居たりしに、卜傳馬の後を除けて通りし故、馬跳ねんともせず。人々謀りしに違ひければ、後に斯と語り、さて、彼弟子の早業を譽め給はぬは如何、と言ひければ、卜傳聞きて、さればとよ。馬の跳ぬるに飛退きたるは、業は利きたるに似たれども、馬は跳ぬるものといふ事を忘れて、うかと通りしは怠なり。飛退きたるは仕合といふものなり。劍術も時により、下手にても仕合にて勝つ事あるべし。それは勝ちたりとも上手とはいふべからず。只先を忘れず機を脫かぬをよしとするなり。一の太刀の位に及ばざる事遙なれば譽めざりき、と答へしとぞ。