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○土屋數直執政の事竝土屋忠直成立の事

卷之二十三 第3話 · 段落 1 · NDL 1078984 352コマ L

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土屋但馬守數直執政たりし時、金座の者共相謀りて、金に銀を入れて吹き替へられなば、日本國の金甚だ多くなるべし。金の色の損ずるのみにて莫大の利なれども、但馬守用ひられじ。但馬守だに此事を聞入れられなば事行はるべし、と言ひけるを、數直に申す人あり。兎角の答無くて打過ぎられしかば、又人をして問はせしに、但馬守、是は邪なる業なり。金を以て天下の寶とするは純物なるが故なり。其寶を惡くせんとや。思ひも寄らぬ事なり、と言はれけるとぞ。數直大猷院殿の近習に仕へ申されし比、故有りて咎を蒙り引籠りて有りしに、大猷院殿上京まし〱けり。數直密に上京せられしを、親族家人相止めけれども聞入れず。京に著きて傍なる所に隱れ居けり。或時、云々の事を數直に謀らすべし、と仰せ出されしかば、皆駭きて、數直は江戶に在り。如何に、と申しければ、聞し召し、尋ねて見よ。居ざる事はあらじ、と仰せられける程に、此處彼處探しけるに、東の京に隱れて有りしを頓て召出して、仰に、汝能くこそ來りたれ。來らずばよかりなんや、とて命ぜられける事どもあり。泰平の時と言へ共千里の行程容易からざる事なりと思ひて、後の咎を顧みず忍びて上京有りしに、必ず斯くあらんと知し召されし、明智の遠慮君臣水魚の遇、季世に有り難き例なり。此數直は甲州武田家の士大將土屋宗藏昌恒が孫なり。勝賴亡びし時宗藏が子の二歲になりしを、駿河の富士の裾野の寺に、土屋が相知る僧有りて隱して育てけり。東照宮御狩の時彼寺に立寄らせ給ひしに、御茶を獻げて出でけるを、此子が面魂唯者にあらず。父は何者ぞ、と御尋あり。住持の僧、氏も無きものにて候、と隱し申しけれども、再三詰り給へば、御敵をなしたる者の末にて候。隱し賴まれて哀に存じ、密に育てて候、と謹んで申しければ、出家させんよりは我に得させよ、と仰せありければ、今は包みて惡かりなんと思ひて、これは武田勝賴が供して、天目山に死したりし土屋宗藏が妾腹の子にて候、と申しければ、さる義士の子なりけるよ。眼ざしの並々ならぬと思ひたるに、果して違はざりけり、とて召具せられ、後民部少輔忠直と言ひしは此人なり。數直は忠直の次男なり。