佐藤五郞左衞門直方は、學問にて世に聞えけり。酒井忠淸賓客の遇に禮せられて終りけり。井伊掃部頭の許に招かれて、未だ掃部頭の前に出でざる中、長臣と物語せし時、直方が云く、大事は論なく候。聊の業も傳授習と申す事の候て、師に就きて學び稽古し、思慮をも盡して後こそ得るものなるに、日本の人々は大事の事に學ぶといふ事なく、傳授稽古といふ事も無く、自己の料簡にて事を濟しぬる事あり。各達は存候にや、と問ふ。皆々、如何、と問ひければ、されば國家の政にて候。萬民の命に懸り、一言にても國の安危に候ふ至極の大事故、聖人の敎へ置かれたる萬世の鏡有りと雖も、今の大名君臣共之に心附かず。只自己の思慮にて、思ふ儘に政を爲すは危き事の至極なり、と語りけり。直方が論まことに格言といふべし。予筆を此處にとゞむるは意なきにあらず。後の此書を讀む人之を察せられよとなり。