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目次 › 拾遺 卷之一 › e514

○小幡景憲物語の事

拾遺 卷之一 第4話 · 段落 1 · NDL 1078984 385コマ R

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小幡景憲の物語に、大坂陣の時堀殊の外深くして攻難き時、本多佐渡守、とかく金堀を入れて堀拔可㆑然、と家康公へ申上げられければ、尤なり、然るべし、とて仰附けられける。土佐或は伯耆佐渡より呼上せよ、と詮議の時、佐渡守曰く、右の國の者不功たらん。たゞ甲州の信玄金堀度度勝利有りとて、甲州より金堀を呼び已に堀らせんとす。城內に此由を聞きて、甲州より金堀來つて此城を堀碎く、とて躁きけるなり。其內に和談に成りけり。何か五年や十年の內にて、七十間など有る堀を掘難からん。是にて敵の氣を奪ふ道理なり。遠州高天神の城に小原與八郞と申す人籠城しける故、早速金堀にて矢倉を堀落したる故城を明渡す。敵城へ堀はめの矢倉の下まで掘附くるなり。是にて崩るゝ。又崩れざる時は、鐵炮の藥を百貫目にても橫切火繩にて附くるなり。我籠城へ敵掘らば、其時は必ず其堀方には伏かまり番あるなり。また掘り來る方へ、此方よりも或は三筋にても四筋にても堀懸るなり。是にて大方通るなれば、金堀妙に覺るなり。又はやき物をもて候ひ來る方、ちん〱と云ふなり。兩方より堀り會ふ時互に分るなり。是時味方歸り、此方より多くこゑを流すなり。