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○松永彈正久秀が馬の事

拾遺 卷之三 第10話 · 段落 1 · NDL 1078984 412コマ R

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馬は人氣あるやはめとりあしき氣强き馬ならでは、戰場長陣はこたへがたし。如何樣に氣强く惡相ある馬も、長陣にては猫の如くなるとなり。松永彈正久秀の乘りたる馬を、八田豐後求めて大坂陣の頃乘りたるに、人氣ありてはめがたきを、吉介といふ異相の馬取ありて轡を持ちてかかると、前足を上げて喰はんと口を開きて懸る時、轡を食ませて牽出せしとなり。此馬大坂陣以後此馬を駿州の島田へ買、駄馬となりたるに、其以後四五年も小荷駄にて荷を附けて、若馬の如くにありしとなり。これ氣性强き馬なる故、此の如く堪へたるとなり。八田正久大坂陣の時十八歲なりしに、兄久次若き者なる故、下部なれども度々戰場に出て事に逢ひたる者なりとて、右の馬取の吉介を正久の馬取となし附けられたるに、大坂夏陣落城の時、崩口に冑附の首を取られたるに、敵を鎗附け突伏せ、首を取られたるに、吉介云く、早く敵の刀を取り給へ。不㆑然時は、其敵の分量知れ難し、と云ひて、正久は同心に無㆑之を、右の敵の刀を取りたるとなり。件の刀高田の刀にて朱鞘なりしとなり。初鎗合の時、正久の鎗の太刀打を、敵刀を以て切拂ひたる時刄折れたるや、又は其初より折れたるにや、右の分捕の刀の太刀打の處、大豆粒程刄折れたりとなり。兜は小田原盛の金錆にて、終不㆑見能き盛なりと云へり。然れども池田利隆の手にて兜附の首三つならでは無㆑之。故に兜を附けて御旗本へ遣せし故、八田家にこれなしとなり。