e582.p01校訂済416R:6–10上泉義鄕曰く、越前少將忠直卿後號一伯東照宮と不和の起原は、大坂にて、諸手の持口の圖を銘々に記して見よとの上意の時、越前の持口の敵城の構をさもこと〲しく彩色圖して出されたるを、神君一目御覽有つて、役に立たぬ男なりと有つて御見限有つて、其後御不和なりしとなり。惣じて敵城の圖などは、麁相にざつと圖して出すこと古法なりとなり。神君は斯樣の古法よく御覺ありて、武の法くはしく御吟味ありたる名將なりし故に、天下も御手に入りし、と申されしなり。