豐臣秀吉は、智練のみにあらず。天運に乘じたる人なり。織田信孝岐阜の城に據りて秀吉を拒む。これ柴田勝家と約して、秀吉岐阜を責ば、我柳瀨より出て秀吉を挾討たん、と謀る處なり。秀吉これを知らず。已に岐阜を圍まんとする前夜、甚雨有りて、呂久合渡の河水激浪滔々たれば涉る事あたはず。川の此方に陣す。勝家柳瀨に出づれば、秀吉岐阜をすてて柳瀨に向ふ。洪水の故に信孝尾擊する事不㆑能。勝家の謀は、却て不意に遇ふ端となり、又甚雨洪水は、秀吉をすくへるにあらずや。後小田原の城を圍むとき、城南の海上は、海賊九鬼大隅守をして、兵船をのり廻し、圍の手を合せしむ。攻城の間五十餘日、一日も東風なし。若東風あれば、舟を置く事成りがたき處なり。其後小田原の海上東風なき日は、上樣日和、と云ひならはせり。