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富田信高
本文表記 信高・富田・富田信濃守信高
古田助左衞門思慮の事 卷之十四 · 2
伊勢國阿濃津城軍の事附佐治縫殿が事 卷之十五 · 15
- p01…毛利秀元、吉川廣家、富田信高の阿濃津の城を攻むる時、城兵城の乾の隅に有りける伽藍を燒拂ふ…
- p01…城中に加勢有りしが、切つて出で宍戶と戰ひ、互に痛手負ひたり。信高本丸の大手に進み出で鎗を合せて相戰ふ。斯る處に容顏美しき武者…
- p01…しき武者緋威の物具中二段黑革にて威したるを著、鎗を提げ來り、富田が矢面に立塞り支ヘ戰ひたり。秀元の兵中川淸左衞門とい…
- p01…の兵中川淸左衞門といふ者を討取りたりといへり斯くて富田門に入る時、彼の武者を見れば殿は恙無く渡らせ給ふか。討死聞き…
- p01…て形は女なりとも男に劣るべきやとて出候ひしに、と言ふを聞けば信高の北の方なり。信高の北の方は浮田安心の女也信高驚…
- p01…劣るべきやとて出候ひしに、と言ふを聞けば信高の北の方なり。信高の北の方は浮田安心の女也信高驚きて且悅び打連れて城…
- p01…ば信高の北の方なり。信高の北の方は浮田安心の女也信高驚きて且悅び打連れて城に入り、今日の有樣類稀なり、と云ひ合へ…
- p01…有樣類稀なり、と云ひ合へり。其後高野の木食上人和平を取計ひ、信高城を出でけるに、程なく東照宮、伊豫の宇和島にて十萬石下し賜は…
- p02…、父を左京といふ。秀吉の爲に城を落され流落して、縫殿九つの歲富田信高に仕へ、十四にて四百石與へられけり。津の城に籠る時十六歲、名…
- p02…十四日京口淸嵐寺の三の丸を燒拂ひ、敵攻入りけるを防ぎ戰ひて、信高本丸に引取りたれども、分部左京亮も未來らず。家老物主も來らざ…
- p02…に引取りたれども、分部左京亮も未來らず。家老物主も來らざれば信高天守に上り、自害せんとて物具を脫ぎ、佐治に、汝介錯せよ、と下…
- p02…五郞右衞門、同主殿、上田吉之允も二の丸に引退く體見えければ、信高上帶しめ直し、佐治を天守より使に遣られけり。大手の門、矢倉、…
- p02…けたる敵大手の門潛へ引退くを追つつめ、兩人にて討取りたるを、信高天守より見られけり。後城に籠られし時、著られし甲冑と白河原毛…
- p02…に小鞍といへる作の鞍鐙を添へて佐治に與へらる。其明の年佐治、富田の家を出て筑前中納言秀詮に仕へ、其家滅びて黑田の家に仕へしを…
- p02…の家を出て筑前中納言秀詮に仕へ、其家滅びて黑田の家に仕へしを富田禁錮せられしが、大坂陣に後藤に招かれて士三十騎の將となり、五…
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