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赤松政則
本文表記 政則・赤松兵部少輔政則
備前國福岡城合戰福井小次郞歌を遺して討死の事 卷之五 · 5
- p02…、赤松が家人散り〱になりし者共元成に與し、小鴨を攻め落しぬ。赤松兵部少輔政則元成を賞して伊福の鄕に置きぬ。山名宗全細川勝元共に病死の後、…
- p02…れども諸國は彌大に亂れ、松田が一族共備前西郡の中數多押領す。政則は將軍家より功を賞せられ、播磨、備前、美作を返し賜りぬ。山名…
- p02…之を怒り、文明十一年九月京都を出て但馬の國に馳せ下る。斯れば政則も播磨に馳せ著けて、此次手に備前の松田が恣に攻め取りたる所を…
- p02…告げて備前を切取り進らす可し、と言ひければ、俊豐是を悅べり。政則備前に赴き、松田が押て己が地にしたる所々を取り返しければ、文…
- p02…取りたり。福岡の城は東西に大川流れ、中に島山有るを城に據りて政則の守護代浦上喜三郞則國を始として二千餘人立籠り、川上の瀨は長…
再福岡合戰藥師寺額田片岡三士討死の事 卷之五 · 1
- p01…より當國の者なり、後卷を味方より申せども播州の加勢も來らず。政則眞弓峠の軍に打負け、姫路に引退きしと聞ゆれば、味方は力を失ひ…
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