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○再福岡合戰藥師寺額田片岡三士討死の事

卷之五 第29話 · 段落 1 · NDL 1078984 116コマ R

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文明十六年正月六日又福岡にて軍あり。城兵敗北する處に藥師寺四郞左衞門薙刀を把り返し合せ、爰にて討死するよ、とて支へ戰ふ。同彌四郞等四郞左衞門を討たせじと取つて返し、津坂の山の麓より城際まで僅の兵にて多勢を防ぐ。拂ひ退きにしけり。寄手の中に福屋九郞右衞門とて剛の者、鍬形打ちたる冑を著、透間も無く四郞左衞門に切つて懸りしに、四郞左衞門が家の士返し合せて、福屋は討たれぬ。然れども寄手彌追ひ詰めしかば、藥師寺四郞左衞門、額田十郞左衞門、片岡孫左衞門三人引き返し枕を並べて切死にしたりけり。是は三人必死を約束したる故とぞ。是より前三人物語せし時、四郞左衞門言ひけるは、此度の軍必ず味方打負くべし。松田は固より當國の者なり、後卷を味方より申せども播州の加勢も來らず。政則眞弓峠の軍に打負け、姫路に引退きしと聞ゆれば、味方は力を失ひぬ。然らばとても討死すべき身にて、人の後に存命へて在らんも本意に非ず。重ねて軍有らば必ず討死せん、と語りければ、兩人聞きて、我我も同じく存ずる事ぞ、と互に同じ處に討死せんと約束しけるが、今日四郞左衞門打出るとて、唯今敵の手に渡べき首なり。最後の對面すべし、とて鏡に向つて莞爾と笑ひて出しとぞ。額田は岡本筑後守に向ひて、子にて候又三郞は一子なれば、取別けて不便に存ずるなり。我と一所に在らば必死を免るべからず。宜しく計ひ給はれ、と言ひければ、心得たり、とて引き分ちしかば、今日討死をせざりしとなり。片岡は我家來に向ひて、我首必ず敵に取らるべし。之を印に死骸を尋ねよ、とて小捻をもて左の二の腕を二重に結ばせたりしが、果して是を印に死骸を求め得たりとかや。