索引:地名 › 播磨国姫路
播磨国姫路
本文表記 姫路
黑田孝隆思慮の事 卷之五 · 5
- p01…秀吉信長の弔合戰せんとて備中より引き返されし時、姫路に立ち寄らるべし、と人々も思ひけるに、黑田孝隆、姫路に馬を駐…
- p01…れし時、姫路に立ち寄らるべし、と人々も思ひけるに、黑田孝隆、姫路に馬を駐めらる可き事、少の間も然る可からず候。假初の旅にも家…
- p01…押著けられよ、と謀りたりければ、よくこそ言ひたれとて、一人も姫路へ寄りたらん者をば忽ち誅す可し、と振れさせられけり。孝隆先達…
- p01…忽ち誅す可し、と振れさせられけり。孝隆先達つて人を走らかし、姫路の町人共河原へ出で、粥を仕度して軍兵に遇すべし、と下知したる…
- p01…でたりければ、立寄らずして山崎表へ押附けられけり。太閤記に、姫路に二日滯留と言へるは誤なり。…
小寺黑田始末の事 卷之五 · 9
- p01…州は其比所々に人々地に據りて守り軍せしが、小寺は五著に有りて姫路に小城を構へ、黑田父子此處に有りて、秀吉に賴みて信長の旗下に…
- p01…ば危かる可し、と言ふ。孝隆、然れば諫は尤なれ共、事も見ずして姫路に立籠らんは、君に弓を引くに非ずや。五著に赴きて力を盡し、奉…
- p01…んは運の極なれば力なし。我一人誅せられたりとも如何にせん。此姫路をだに取られずば、天下の安危歲月を經ずして定るべし、とて止ま…
- p01…けり、とて潸々と泣きたりけるが、さぞ五著にて謀りて見んに、今姫路に弓を引く設なしそ。酒宴して時々舞謠ひて日を送れ、と言ひしと…
- p01…。城に籠る用意せん間に、官兵衞を以て欺く可きも計り難し、とて姫路の樣を聞くに、宗圓金剛に舞舞はせて打解けたる體なれば、偖ては…
- p01…事ならん。然ども辭し申せば勇無きに似たり、とて有岡に赴く路、姫路に立寄りて父子對面し、有岡に至らば必ず首を刎ぬべきか、押へて…
- p01…時善助時々有岡に行きて忍びて商家を語らひ、牢の後の沼より姫路の事ども語りし事度々にて、案內をしたりければ、牢に走り行きて…
- p01…傍なる牢中の人を賴み抱負はせて城を出で、寄手の陣に行き、偖て姫路に歸る事を得たり。秀吉播州に攻め入るに及びて小寺は但馬に落ち…
- p01…落ち行き、黑田父子危難を脫るゝ事を得て、孝隆に宍粟郡を賜り、姫路を秀吉の城とす。後に如水と稱して智謀逞しく、秀吉の功臣第一と…
再福岡合戰藥師寺額田片岡三士討死の事 卷之五 · 1
- p01…味方より申せども播州の加勢も來らず。政則眞弓峠の軍に打負け、姫路に引退きしと聞ゆれば、味方は力を失ひぬ。然らばとても討死すべ…
常憲院樣越後家の訴訟御睿斷の事 附錄 雨夜燈 · 1
- p01…守八丈島へ流罪、松平大和守閉門仰附けられ、翌年二月閉門御免、姫路十五萬石召上られ、豐後日出にて五萬石下され、松平上野介廣瀨二…
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