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○常憲院樣越後家の訴訟御睿斷の事

附錄 雨夜燈 第11話 · 段落 1 · NDL 1078984 443コマ L

人物地名家(氏)官職日付索引へ

松平越後守光長子なかりしかば、家督は實の弟永見大藏なるべし、と大藏も思ひ、又家中も大方是ぞと思ひ追從しけり。小栗美作飽迄邪智ある者にて、御家督は大藏殿にてあるべし、と云ふ人あれば、左樣にぞあらん、と返答す。大藏聞傳へて悅べり。偖江戶へ家督の事窺に美作行けば、大藏も賴むとはなけれども、暇乞に事よせて念頃の體なり。美作江戶へ行き才覺を廻らして、三河守を立つべし、との議定なり。一伯配所にての子永見賴母と云ふ、其子を三河守といへり。永見大藏は賴母が弟なり。是も配所にて生れたりとなり。是より大藏大に本意を失ひ、家中日頃大藏へ取入たる面々も呆れたり。然れども上意と披露する上は詮方なし。美作は大藏を欺きたり、と獨笑して、三河守をもり立てて權威を大に振はんと思へり。大藏堪兼て、かねて入魂の面々徒黨して美作を打果さん、と荻イ萩田主馬など張本たり。美作素知らぬ振して取合はず。偖美作は越後守の妹婿なれば、子の大六は越後守の姪なり、一門の如く家中の士敬ふべし、と云はせけり。之より家中騷動して、終には江戶へ訟へ、數年決定せざりしに、常憲院樣御代始、御自身雙方の公事を御城殿中にて聞召し、御決斷ありて、越後高田二十五萬石召上られ、美作死罪仰附けられ、子の大六は曹源寺樣へ御預、天和元年六月二十二日、御屋敷弓場の東作庭にて是も死罪に仰附けらる。永見大藏、荻田主馬は八丈島へ流罪、其外死罪流罪に仰附けられたる士數多あり。此取扱に附渡邊大隅守八丈島へ流罪、松平大和守閉門仰附けられ、翌年二月閉門御免、姫路十五萬石召上られ、豐後日出にて五萬石下され、松平上野介廣瀨二萬石の內一萬石召上られ、酒井雅樂守、久世大和守、御老中職召放されけり。是皆越後守暗弱にて、威を家老用人に奪はれ欺かれしゆゑなり。常憲院樣の睿斷、異國唐の玄宗を天子と申しゝに比ぶべしと、其節より諸國畏れ眼1したりけると也。
  1. 誤植 — 底本「畏れ眼したり」。振り仮名「ふく」から「服」の誤植か。