池田の御家の御家老土倉市正は、四郞兵衞が養子にて、實は瀧川左近將監一益の先手の士大將岩田小左衞門なり。新太郞樣御使番に、誰か可㆑然、と御吟味遊され未決定せず。市正に御尋なされ候へば、市正承り、中村忠左衞門可㆑然奉㆑存候。忠左衞門事私共に對し、毛頭も諂ふ心のなき男にて御座候。如㆑彼なる者に仰せ附けられずして、誰か外に御座有るべき、と譽立てければ、新太郞樣御機嫌大方ならず。忠左衞門に使番を仰せ附けられけり。日頃市正と忠左衞門とは大に不和なり。御前にての樣子を忠左衞門に語り聞せし人ありければ、忠左衞門日頃の不和を少し後悔の氣色あり。又此由を市正に語りける人ありければ、市正、御尋によりて能人を申上候事は、御國の爲なり。毛頭も私の慮なきことなり。不和は本の通りの不和にてこそあれ、忠左衞門は吾心を知らず、と云はれしとなり。此をぞ家老の職分を失はぬ人と申すべし。君君たり臣臣たりといふ事誠なるかな。