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森山崩れ、清康の横死編集見出し

19 · 978字 ·編集段落

然間君之御運つきさせ給ふ哉。御馬が逸れて人聲高候へば、父之大藏を御成敗かと心得而、彌七郞せんごの刀にて、淸康何心も無して御座有處を、ひんぬいて切害申。上村新六郞是を見、彌七郞を其場にて切伏踏害。各々是を聞莅參りて君之御有樣を見、各々落淚する事、釋尊の御入滅もかくやと思ひしられて哀成。各々餘りの腹立に彌七郞が死骸を屎堀に踏こむ。各各あきれはて、とほうにくれていたる處に、上村新六郞申けるは、御かたきは打申成。此故者思ひ置事無、腹を切て御供を可申由を申、其時各々被申ける、君を切申たる彌七郞を切申事手がら申に不及比類無、然どもか樣に君之不慮之御仕合あらんとも、神ならねばしらずして、陣屋ゑ寬げし故に、居合ずして各々迷惑、流水不㆑歸後悔不㆓先立㆒、か樣の事あらんとしりたらば、誰かは陣屋へくつろげん哉。折節御身有合而天道にも叶い候いて、彌七郞を打給ふ事ひるい無云にも不及。然ども有合たる事ならば、誰かは御身に蹈らん哉。有合ぬ事社天道にはなされたり。本寄もおひ腹を切申事、御身にも誰か蹈らん哉。倂御身者追腹を切給ゑ、我ら供者是に而追腹は切間敷、追腹の切つぼに而可㆑切、御身もふんべつ有而切給ゑと、各々申されければ、新六郞聞而申、追腹の切處者何くぞや。各々被申ける、追腹の切處と者十日と過ごす間敷、小田之彈正之忠、岡崎へ押寄べし。各々是に而腹を切程ならば、岡崎に者人も無して若君御一人御ば、彈正之忠押寄而鵜鷹の餌を伐樣に打せ申さんは無念に存知可申。然ば若君樣之御先に而追腹をば切可申。追腹之切處是成。御身も同は爰に而之追腹思案あれ。何くに而切も同事なれば停はせず。新六郞被㆑申ける、げに思ひ縒候。各々と一身して若君之御前に而切死に死可申と云ければ、各尤成、とても切追腹ならば、各々と一身して火花をちらして切死にし給へ、御供申而可㆑切とて、森山を落而歸る。森山も落勢なれども心も替して手も不㆑付して歸しける。內前殿も只今は何かと申而手出し有ば、城を持かためては成間敷とや思召ける哉、玃待の歌のごとくに寢たるぞ寢ぬぞにして、宇1だるみして二三ヶ月之間者、兎角之御取合もなくして、萬事指引を御。其內に悉引付給ひ而、我者同前にいたされ申す。淸康三拾之御年迄も、御命ながらへさせ給ふならば、天下はたやすく治させ給んに、廿五を越せられ給はで、御遠行有社無念なれ。三河に而森山崩れと申は此事成。
  1. 誤植 — 底本「宇」(振り仮名「そら」)。「空」の誤植か。