然間彈正之忠は駿河衆之出るを聞而、淸須之城を立而、其日は箸寺1鳴海に陣取給ひ而、明ければ箸寺2を打立給ひ而、案祥に著せ給ひ而、其寄八萩河之下の瀨を越而、上和田之取出にうつらせ給ひ而、明ければ馬頭之原得押出し而、合陣の取んとて上和田を未明に押出す。駿河衆も上和田之取出への働とて、是も藤河を未明に押出す。藤河と上和田之間一里有。然處に山道の事なれば、互見不㆑出して押けるが、小豆坂へ駿河衆あがりければ、小田之三郞五郞殿は先手に而小豆坂へあがらんとする所に而、鼻合をして互に洞天しけり。然とは申せども互に旗を立而即合戰社初而、且は戰けるが、三郞五郞殿打負させ給ひ而、盜人來迄打れ給ふ。盜人來には彈正之忠之旗の立ければ、其寄も盛り歸して、又小豆坂之下迄打、又其寄追歸されて打れけり。其時之合戰者對々とは申せども、彈正之忠之方は二度追歸され申、人も多打れたれば、駿河衆之勝と云。其寄駿河衆は藤河得引入、彈正之忠者上和田得引而入、其寄案祥得引而、案祥には舍弟之小田之三郞五郞殿を置給ひ而、彈正之忠者淸須得引入給ふ。三河に而小豆坂之合戰と申つたゑしは此事に而有。
- 誤植箸寺 — 底本「箸寺」(振り仮名「かさ」)。地名「笠寺」の誤植か。
- 誤植箸寺 — 底本「箸寺」。地名「笠寺」の誤植か。