去程に御年七歲寄御十九迄、駿河に引被㆑付させ給ひ而、其內者御扶持方斗之あてがいにして、三河之物成とて少もつかはされ候事成して、今河殿得不㆑被㆑殘押領して、御普代之衆者、拾箇年餘、御ふちかたの御あてがひ可被成樣もあらざれば、せめて山中貳千石餘之所を渡してもくれ去歟、普代之者どもが餓死に及體なれば、かれらにせめてふちかたをもくれ度と被㆑仰けれども、山中貳千石さゑ渡し候はねば、何れも御普代衆手作をして、年貢石米をなして百姓同前に鎌鍬を取、妻子をはごくみ、身を扶荒れぬ形をして誠に駿河衆と云ば氣を取拜つくばひ、折屈而髃身をすくめて恐をなして步く事も、若何成事をもし出てか、君之御大事にも成もやせんと思ひ而、其耳斗に各々御普代衆有にあられぬ氣伻をし趙廻。拾箇年に餘年には五度三度づつ駿河寄尾張之國得働に而有、竹千代殿の衆に先懸をせよと申越けれども、竹千代樣は御座不㆑被㆑成、誰を御主として先懸をせんとは思得ども、然供御主は何くに御座候とも、普代之御主樣得の御奉公なれば、各々我々不㆑殘罷出て、先懸をして親を打死させ子を打死させ、伯父姪從兄弟を打死させ、其身も數多の疵をかうむり、其間々には尾張寄働ければ出て者禦。晝夜心を盡し、身をくだき働とは申せども、未竹千代樣之、岡崎得入せ給はぬ事之悲しさと、各々の身に餘りて歎けり。今河殿も竹千代殿の普代之者をさゑ害あげたらば、竹千代殿を岡崎得入申間敷とや思召哉、此方彼方の先懸をさせ、數多之人を害、