三河物語本文データベース

目次 › 三河物語第二中 › m2.004

刈屋城の忍び取りと竹千代の元服編集見出し

4 · 541字 ·編集段落

m2.004校訂済167頁 95L:1–14別
然處に今河殿寄苅屋之城を忍び取に取んと、伊賀衆を喚寄付けり。水野藤九郞殿者恪氣の深き故に、城之內にかいがは敷人を置給而、年寄たる臺所人之樣成者、夫あらしこ、其外年寄、小性の樣成役にも立去者どもを取集而、四五十人斗居たり。其故熊村と云鄕に目懸を置給得ば、其後通い給ふとて、濱手の方をば人之行かよいなければ、聞懸而濱之方寄伊賀衆やす〱と忍入而、藤九郞殿を打取。其外之者どもを此方彼方得押寄々々皆打取而、二の手を待けり。其時岡崎衆を二之手にするならば、無㆑難城を取かためべき物を、水野下野殿者竹千代樣の御ためには、眼前の伯父、藤九郞殿者下野殿には御子、竹千代樣には御いとこなれば、其に心を置歟、岡崎衆には不㆑付して、二の手を三河之衆に申被付ければ、をくれても有歟、二の手慹ければ苅屋衆之爰はと思ふ衆が、早悉おとなの牛田玄蕃所得懸寄而、此方は何とゝ云ければ、玄蕃云、何とゝは酷とて卽倍程に、其儘城を騎返而、伊賀衆を八十餘打取。然ども藤九郞殿頸をば羽織につみて、床ゑ上而社置。駿河衆も城を騎返され而、手をうしないける處に、早小河寄下野殿懸着給得ば、駿河衆も足々にして引退く。然處に小田之彈正之忠も御遠行有而、信長之御代に成、竹千代樣も早御元服被成、義元の元を取せられ給ひ而、次郞三郞元康と申奉る。