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一揆後の処分と寺内の破却編集見出し

18 · 531字 ·編集段落

然間松平監物殿も早かうさんに御寬給得ば、其付而荒河殿もかうさんし給得供、御無㆑徐ければ上方得浪人被成而、河內之國に而御病死成。坂井將監殿も上野を明而駿河得落行給ふ。一のをと名に而有ければ、上樣歟將監殿歟と云程之威勢なれども御主に勝事弄して、それ寄將監殿筋は絕而跡かたも無。然間義諦もならせられ給はで、佗事被成而東祥之城を下させ給得ども、御扶持方をも出させ給ねば、御身も弄して上方得御浪人被成、淨體を賴ませ給ひ而御座候つるが、惡田河に而打死を被成けり。其後土ろ、鍼崎、佐崎、野寺之寺內をやぶらせ給ひ而、一向宗に宗旨をかゑよと、起請を書せられ給得ば、前々之ごとくに被成而可被下と、御起請之有由を申ければ、前々は野原なれば、前々のごとく野原にせよと仰有而打敗給得ば、坊主達は此方彼方得迯ちりて行、御敵を申上御徐之衆も有、又鳥井四郞左衞門、渡邊八郞三郞、波切孫七郞、渡邊源藏、本田佐渡、同三彌、御國にはあらずして、東得行衆も有、西國得行衆も有、北國得行衆も有。大草の松平七郞殿は、何方得行ともしらず、何れも御敵申者供を扶置せられ候御事、御慈悲成儀どもとてかんぜぬ人も無。其寄して東三河得御手を懸させ給ひ而、西之郡城を忍取に取せ給ひ而、鵜殿長勿を打取、兩人之子供を生取給ふ。