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勝頼の長篠出陣と大賀弥四郎の処刑編集見出し

15 · 310字 ·編集段落

さて又勝賴は御出馬有けれ共、此事あらはれて、調儀ちがひければ、其寄押出し而、二れんぎへはたらき給ふ。其時信康之御馬は、山中之法藏寺に立而、御陣之とらせられ給ふ。家康之御旗は、吉田に立てゝ、はぢかみ原にてはげはげ敷、あしがる有而、勝賴は其寄引入給ひて、ながしのへ偣。則城を責させ給へば、家康、信康、兩旗にて野田へ押寄させ給ふ。然間、大賀彌四郞をば、岡崎之辻にあなをほり、頸板をはめ、十の指をきり、目のさきにならべ、あしの大すぢをきりて、ほりいけ、竹鋸と、鐵鋸とを、相そへておきければ、とをりゆきの者共が、さても〱、御主樣の御ばちあたりかな、にくきやつばらめかなとて、のこぎりを取かへ〱、ひきけるほどに、一日之內に引ころす。