三河物語本文データベース

目次 › 三河物語第三下 › m3.025

田中出陣と高天神の付城築造編集見出し

25 · 673字 ·編集段落

同年に田中へ御はたらき成され而、とうべのしたに御陣之とらせ給ふ。勝賴はきせ河へ出でて、ほうでうの氏政と、合陣をとらせ給ひしが、家康のとうべのしたに、御陣を取せ給ふ由を聞召、是は家康をゑつぼへ引入たり。其儀ならば、うつの谷をゆきて、田中之城にうつりて、あとを取きり而、一合戰してはたすべしとて、氏政へつかいを被立、家康山西へはたらき、とうべに陣取而有由承候間、明日は爰元を引はらい候へて、家康へむかひ可申間、御したい被成候はゞ、其御心得有而御付可有。また合戰を被成んと思召たまはゞ、尤之御事可仕と仰被入而、合陣をはらひたまひて、きせ河より藤河へ押寄給へば、藤河が事之外出ければ、こす事もならざる處に、是をば夢にも、家康御存知なき所へ、大久保七郞右衞門內に、島孫左衞門と申者の甥に越後と申出家、府中寄走入而、此由を申上ければ、取あゑず引のき給ふ。石川伯耆にしつばらいを仰被付けり。然處に、もち舟寄出て付ける處を、とつて歸而、山へ追上げてこと〲く打取。其時松平石見、酒井備後などをほめたり。其外にもあれ共、まづ彼等が事を云たり。其寄おほい河を引越而、すわの原城へいらせ給へば、勝賴もおつつけて、田中之城へうつらせ給へども、おそきゆゑ、無㆓何事も㆒。其年高天神にむかはせ給ひて、大阪山に取出を被成けり。おがさの取出と二つあれ共、おがさ山は此前取給ふ。然間天正七年己卯の春、田中へ御はたらき有而、苗を薙ぎて引給ふ。同年高天神の取出、中村に二つ、同しゝがはな、同なふが坂に取出を被成ければ、おがさ、大阪、中村に二つ、しゝがはな、なふが坂以上六つ取出をとらせ給ふ。