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高天神城の包囲と堀・柵の構築編集見出し

26 · 407字 ·編集段落

然間天正八年庚辰の八月寄高天神へ取寄給ひ而、四方にふかくひろくほりをほらせ、たかどいをつき、たかべいをかけ、土へいには付もがりをゆひ、ほりむかひには、七重八重に大柵を付させ、一間に侍一人づつの御手あてを被成、きつても出ば、其上に人をまし給ふ御手だてを被成ければ、城中寄は鳥もかよはぬ計なり。うしろには後づめのためと被成而、ひろくふかく、大ほりをほらせ給ひ而、城之ごとくに被成けれ共、何としてこもり申候哉。さぎ坂甚大夫と申者が入而、又出たると申たり。然るとは申せ共、林之谷と申は、山高くして可出樣もなし、たとへ出たると云とも、行さきは國中其外、おがさ、懸河、すはの原、南は大阪、よこすかには上樣之御座候へば、出て行べきかたもなし。然間陣之可取らいもなければ、大久保七郞右衞門うけとりなれ共、はるかにへだたりて、とほくに陣を取、上寄之御諚には、とても林之谷へ出る事はあらじ、然者時の番之者を、六人づつ指置申せと御諚成。