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高天神城の落城と岡部丹波の討死編集見出し

27 · 516字 ·編集段落

m3.027校訂済223頁 123L:2–13別
然間、天正九年辛巳三月廿二日之夜之四つ時分に、ふたてにわけてきつて出る。あすけ、取原、石河長門守之くちは、入江の樣成ところなれば、城寄是を、よわみと見て、きつて出ければ、間はほりなれば、それへこと〲くかけ入ければ、三方より指はさみて打ける間、ほりいつぱい打ころして、夜明けて頸をば取る。岡邊丹波と、橫田甚五郞者、林之谷へ、大久保七郞右衞門手へ出る。番之者六人指越候へとは御意なれ共、七郞右衞門は大久保平助に相そへて、こゝはの者を十九騎指越ける。然間、城の大將にて有ける、岡邊丹波をば、平助が太刀付て、寄子の本田主水にうたせけり。丹波となのりたらば、より子にはうたせまじけれ共、なのらぬうへなり。其場にてこと〲く、五三人づつは打けれども、せいきもきれて皆打とめることはならず。然處に、七郞右衞門所より、はやすけてきりけれ共、はやことおはりぬ。然處に、石河長門守、あすけ、取原の手にて打もらされ共が、又まつくろにきりて、水野日向守手をやぶりけるが、其時は日向守は年若くして、御旗本につめられて、名代として、水野太郞作と、村越與惣左衞門がいたりしが、出而ふせがす。七郞右衞門とならびなれば、すけ合之者共かけきたれば、ふせぎておふかた討取。