然る間同七日には、御兩旗にて押つめさせ給へば、眞田左馬之助は天王寺ゑ押出しける處に、大將軍樣押寄させ給ひ而御旗本にてきりくづさせ給ひける。大將軍の御手柄廣大無變なり。然る所に城に火がかゝりければ、大阪內が町迄一間も不殘やけはらいけるはふしぎなり。然る處陣すぎて後に味方くづれこそしたり。然る間秀賴は天主に火かゝりて、千疊敷もやけければ、山里ぐるわへ御ふくろ女房たち引つれ而御入有處に、井伊掃部を仰被付ければ、大野修理罷出て、御のり物を二三でう給候へ、罷可出と被申候由申ければ、御ふくろ斗のり物にて出給へ。其外は馬徒步にても出給へと被申ければ、何かと言而出かねさせ給へば、其儘てつぱうを打こみければ、かなわじとや思ひ給ひけるや、火をかけてやけしに給ふ。御供には大野修理、眞野藏人、はやみかいの守、是は秀賴の供をして腹を切てやけしする事たぐひなし。野々村伊豫守は行方なし。伊藤丹後守は秀賴さい後の場をはづし、さまをくゞりて出けり。大野主馬、千石惣彌は行方なし。長宗我部と大野道けんは、落ちて此方彼方さまよひありく所に、長宗我部をば、やはたにてとらまへ而高手小手に諷て、二條の城の駒寄にしばり付而さらし給ふ。道犬をば大佛にてとらまへ而高手小手にいましめて、堺の町を引而兩人ながら三條河原へ引出して、あをやが手にかけてかうべをはねて三條の橋の下にかけさせ給ふ。秀賴の落胤の若君も、十斗に成せ給ふを守がつれまいらせ而、伏見までおちゆかせ給ふをいけどりまいらせて、獄門にて切奉り而、すなわちごくもんにかけさせ給ふ。然間大阪にこもりたる衆は、命ながらへたる衆はこと〲く具足をぬぎすて、裸にて女子もにげちる。こと〲く女子をば北國、四國、九國、中國、五畿內、關東、出羽、奧州迄ちり〲に捕られけり。