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秀頼五度の背反と因果編集見出し

57 · 231字 ·編集段落

m3.057校訂済259頁 141L:7–12別
さて又太閤の御子秀賴も、相國樣打奉らんと大阪にて一度、又伏見にて諸大名に仰而打奉らんと二度め、會津御陣の御跡に諸大名をもよおして伏見の城を攻めころして、相國へむかはせ給ひ而三度め、又去年謀叛の企て、諸浪人をふちして敵に成給ふ事四度め、又當年手を出し而合戰をし給ふ事五度めなり。相國御じひ故四度迄は御ゆるされ被成けれ共、たすけ度は思召けれ共、此うへは是非なき次第、たすけおく物ならば又謀叛を可企、然者腹を切給へとて御腹を切せ給ふ。是を見る時んば因果と云物有物なり。