それのみならず七郞右衞門に付て、さかいめに十二年いたるに七郞右衞門者をつれ、七郞右衞門名代に此方彼方の取出の番を、其將になりてつとめたる者は、只今迄殘りて有者は、御普代衆の內には我一人より外は有間じき。尤其比の取出の番をしたる衆も可有けれども、其衆はことごとく人に付て步きたる衆は可有。人をつれて步きたる人は一人も有間じき、我斗にて可有を、我等をば辛勞苦勞申上たるとは思召なくして、其比人の內の者に成て、其主人に扶持給をうけて、草履取一人のていにて其主人ゑほうかう申たる者をば、若き時しんらうくらうして走りまはりたる由御意にて過分に御地行を被下ける。それは其身の主へのほうかうなり。上樣への御ほうかうにあらず。其を御ほうかうと思召候はゞ其主への御ほうかうはなし。我等は境目へ出ると申せども、親の跡と兄の新藏打死の跡を被下てあれば、七郞右衞門處寄は何にてもとらず。若き間は御手さきを心がけて、我が望にて出たり。其故七郞右衞門をさかいめに召おかれける間、方々以さかいめへ出て御ほうかう申上候なり。人なみに走りまい申事は一々にあらはしてもいらざることなり。面白き事どもなり。御直に御地行被下て、さかいめへ出て御ほうかう申上たる我等共は、辛勞とも思不召して、主をもちて其主の供に出たる者をば、さかいめに有てしんらうをしたるとて、過分に御知行を被下ける。子共聞たるか、其いにしへ人につかわれ、草履取一人にて世をめぐりたる衆が、御前へ出人を大勢召つれたり。又今度大坂にておそろしくもなき所にてにげたる者が、過分に重ね地行を取て、人を多く召つれてひらおしにありく。我等共は又武邊したる事もなし、猶々にげたる事もなし、先祖の御忠節もきわもなし、又我等辛勞もきわもなし。御主樣には當將軍樣迄御九代の御普代なれども、か樣に被成ておかせられ候へば、右の衆が人多にて通れば、わきへ乘寄せてとおる時は、さりとは、御なさけなき御事かなと思へば、人しれず大とちのせいなる淚がはら〱とこぼれけれども、何の因果かなと思ひて、心と心を取なをしてこそ步き候へ。さて〱御ほうかうは身にあまるほど申上申なり。上樣御座被成候御方へ、後をして臥したる事もなし。朝夕の看經にも先釋迦佛をおがみ奉りて、其次に相國樣をおがみ奉りて、其次に當將軍樣御壽命御安穩に御そくさいに、御子樣御兄弟樣何れも御そくさいに、御じゆみやうあんをんにと拜み奉り、其後七世の父母二親とおがみ奉り申。か樣なる儀は當將軍樣は御存知なき御事、東照權現樣は見とをさせられ給ふべき。か樣に大事と存知奉り申儀をば、神佛も見とをさせられたまはん。おもへば世も末世になりて神もましまさぬかと思ひ奉るなり。