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목차 › 제3 하(第三下) › m3.004

사이가가케 야습과 신겐의 노다성 공격편집 표제

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然處に信玄はさいがかけにて首共をじつけんして、其儘陣どらせ給ふ所に、大久保七郞右衞門が申上けるは、加樣に弱々としては、いよ〱敵方きおひ可申、然者諸手のてつぽうを御あつめ被成給へ。我等が召つれて夜討を仕らんと申上ければ、尤と御諚にてしよてをあつめ申共出る者もなし。やう〱諸手よりして、てつぽうが二三十挺計出るを、我手まへのてつぽうに相くわへて、百挺計召つれて、さいがかけへゆきて、つるべて敵陣へ打こみければ、信玄是を御らんじて、さても〱勝ちても强敵にて有り。是程にこゝわと云者共を、數多討とられて、さこそ內も亂て有哉らんと存知つるに、かほどのまけ陣には、か樣にはならざる處に、今夜の夜ごみはさても〱したり、未よき者共の有と見えたり。兎角にかちてもこわき敵成とて、そこを引のけ給ひて、いの谷へ入而長しのへ出給ふ。其寄おく郡へはたらかんとて出させ給ふ所に、爰に藪の內に小城有ける。何城ぞととわせ給へば、野田之城成と申。信玄は聞及たる野田は是にて有か、その儀ならば通りがけに踏みちらせと仰あつて押寄給へば、打立てあたりへもよせ不㆑付。さらばとて竹たばを付もつたて、龜の甲にて偣。晝夜ゆだんなくかねたいこを打て、夜もすがらせめけれ共日數をふる。城には野田のすがぬま新八郞、松平與市殿のかせいにいらせ給へば、ことともせずしておはします。然共日數もつもりければ、二三之丸を責とられて本丸へつぼむ。然間あつかいをかけて、二の丸へうつして堄をゆひておしこみて、其寄して長しのゝ菅沼伊豆が人質と、つくでの奧平道文が人じちと、だみねのすがぬま新三郞が人じちに、換へあひにして、松平與市殿もすがぬま新八も引のきけり。信玄は野田之城を責內に病つかせ給ひて、野田落城有而後は、きつてのばる事も不成して、本國へ引而入とて御病おもく成而、平井波合にて信玄は御病死被成ける。