然る間元龜四年癸酉二俣之城にむかつて、取出を御取被成ける。一つ屋城山、一つがう大島、一つ道々國中のおさいと被成ける。さてまた濱松より岡崎へ御越被成候とて、元龜四年癸酉長しのゝ城を打まわらせ給はんとて、かけよせさせ給ひて、火矢を射させて御覽じければ、案之外に本城、は城、藏屋共に一間ものこらず燒きはらひければ、其儘其寄押寄給ひて、責給へば、勝賴は後づめと被成候へて、鳳來寺くろぜまで、武田之典厩をさしつかわせ給ふ。是をも御もちいなくして、せめさせ給へば、城中にもはや、兵糧米も候はねば、はや降參をぞ申ける。しからばたすけおくべきよしおほせ給ひて、あつかいて、同年の七月十九日に城をうけとらせ給ひ、御普請を被成、兵糧米多こめおかせられ給ひて、おく平九八郞に城を被下而頓而御馬も入。