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大久保忠教
本文表記 大久保・大久保彥左衞門・平助忠敎・彥左衛門・忠敎・彥左衞門
松平(藤井) 第二 · 2
酒井 第四上 · 3
大久保 第四中 · 8
- p003…し、天文六年五月朔日岡崎の城を奪ひ返へし、若君を迎納れ奉る、此事精く大久保が物語、阿部四郞兵衞定次入道が記に見えたり、○按するに是大久保が家…記録(三河物語)の著者
- p003…る、今夕武田が兵、犀が棧に落て死するもの數千人といふは僻事にや、大久保が物語並に創業記等に見えず、甲陽軍鑑にも此事を論したり、天正三年四月…記録(三河物語)の著者
- p003…なりと、感じ給ふ事、大方ならず、此後安土にて、忠佐に小袖を賜りし事、大久保が物語に詳なり、此年六月七日忠世二俣の地を賜ひ、皆野の原に、要害搆て…記録(三河物語)の著者
- p003…り守ると云々、此事大事なれば、忠世に仰下されしといふさも有べし、されど大久保が物語にも、また其餘の記にも漏れたる事、いぶかし、十三年九月廿三…記録(三河物語)の著者
- p005…るべき由を仰らる、さらば然るへき者此城に留めて、參るべきにて候とて、舍弟平助忠敎を、後に彥左衛門小諸の城に留て、濱松にこそ參りけれ、忠敎爰に在る…
- p005…さらば然るへき者此城に留めて、參るべきにて候とて、舍弟平助忠敎を、後に彥左衛門小諸の城に留て、濱松にこそ參りけれ、忠敎爰に在る事來年正月に至る、…
- p005…舍弟平助忠敎を、後に彥左衛門小諸の城に留て、濱松にこそ參りけれ、忠敎爰に在る事來年正月に至る、此後東西御和睦あつて、德川殿關白秀吉に御對…
- p012…此かた一生の高名いくらといふ數を知らず、忠佐十六歲にて柴田と戰ひし事、彥左衞門が物語に出つ、疑ふべからず、按するに御年譜幷家忠日記增補等に弘治二年正…記録(三河物語)の著者
植村 第四中 · 1
- p002…なき軍して幼なき君をたてし事、異國本朝、今に類ひ有べからす、詳なる事は、大久保が三河物語にみゆ、事永けれは畧しぬ、○按するに、此戰に植村打死せし由ある…
松平(戶田二連木) 第四下 · 2
戶田(田原) 第四下 · 1
- p002…此月の六日と記す、據あるにや、此記によれば、忠次が參りしは最初の比なり、大久保が物語にも、最初に參りし由にみえたり、又大久保一門殘らず上和田に在て、針…三河物語の著者
井上 第五 · 1
- p002…賀五郞左衞門尉康高の手に屬す、阿部大藏少輔が贈大納言家に忠を盡せし事は、大久保が物語、家忠日記增補、阿部四郞兵衛入道が記等に詳なり、合せ考べし、又井上…
平岩 第十一 · 1
- p001…二歲にて失せ給ひしを、當家も他家も押なへて、惜み參らせぬ者ぞなかりける、大久保が三河物語に載する所は、三郞殿御夫婦の中睦じくわたらせ給はざりしにや北の…
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