人物索引 › 太田一吉
太田一吉
本文表記 太田飛驒守一吉・太田・太田飛驒守政信・太田飛驒守一正
加藤 第七下 · 4
- p001…事覺束なし、たゞ大河內秀元が記にしるす所、最も詳かなり、彼れが記は、自ら太田飛驒守一吉に從て彼國に向ひ、日毎の事を記るせる所なり、慶長二年の戰たる事一定にて、…
- p002…固めとし、西は順天の城を棄てゝ、南海島を守らんには若くべからずと議定す、太田飛驒守一吉、毛利民部大輔高政、二人此義に同ぜず、さらば先づ此由を記るして、殿下にま…
- p002…ざるに依て、罪蒙つて首刎らるとも、悔いる所にあらずと云ひ切て、連署せず、太田毛利既に此議に同ぜざれば、軍奉行の人々も連署せず、清正かの城の守なれば、…
- p002…千石の地を加へられ、本領合せて十万石、此內一万石の軍役を免し除かれたり、太田も此時四万石加へられて、七万五千石を領す、思ふに、毛利にも加恩あるべし、…
中川 第九下 · 2
脇坂 第十上 · 1
- p002…の事なり、又南原の敗れしは八月十五日の夜の由、大河內秀元が記にあり、此時太田飛驒守一吉と、藤堂、と先駈を爭ひしことあり、南原攻口の圖を見るに、高虎安治が陣並び…
金吾 第十二上 · 1
- p003…く參り集ひ、秀秋の凱陣を賀し申さる、太閤やがて御出ありて御對面訖つて後、太田飛驒守一正秀秋の軍し給ひしやう、一々に陳じて感じ申す、太閤いや〱大將軍の自ら諸軍と…底本:一正
加藤 第十二上 · 1
- p005…七千八百廿六人也さるをかく事ゝしく言傳へしなり清正淺野左京大夫幸長太田飛驒守一吉等と、僅かなる勢を以て、日々夜々に防き戰ひ、明れば三年正月三日味方の人々…
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