人物索引 › 本多重次
本多重次
本文表記 重次・本多・作左衞門重次・本多作左衞門重次・本多殿・鬼作左・此人・鬼作左衞門・鬼本多・本多作左衛門重次・本多作左衞門尉重次
越前 第一 · 3
本多 第四上 · 61
- p001…飛驒守藤原成重は、作左衞門重次が子、本多右馬助助定が後胤、三河國德川家譜代相傳の御家人なり、作左衞門重…
- p001…左衞門重次が子、本多右馬助助定が後胤、三河國德川家譜代相傳の御家人なり、作左衞門重次生年七歲にて、贈大納言家に仕へまゐらせしより、德川殿の御時に至て、度々の…
- p001…、永祿八年、三河國盡く御手に屬しければ此年三月七日、始て奉行職を置れて、本多作左衞門重次、高力與左衞門清長、天野三郞兵衞康景、三人に仰て、其職を掌らしめらる、…
- p002…此時三河國にて歌に、佛高力、鬼作左、どちへんなしの天野三郞兵衞と謠ふ、重次は、おそろしげなる男の、おのが云…
- p002…此時三河國にて歌に、佛高力、鬼作左、どちへんなしの天野三郞兵衞と謠ふ、重次は、おそろしげなる男の、おのが云たき事をは、ありのまゝにうちいひ、如何に…
- p003…元龜三年の冬三方が原の戰に、重次馬射られて落たり、敵十騎が中に取こめられ、鎗取のべて敵一騎つき落し、首か…
- p003…めんに、御方多勢ならむには、兵糧また續ぐべからず、此事如何にと仰せあり、重次承て、信玄我國に向ふと聞えしより、糧米多く蓄へ積せて候と答申ければ、悅た…
- p003…かしこ軍だちし玉ふ時、多くは其後に留守る、同き八年三月、長澤の城落し時、重次、內藤三左衞門信成と共に、しばし此城を守り、十二年掛川の城を攻られしに、…
- p003…、武田四郞勝賴うしろ卷せんとて、軍勢二手に引わけて、三河遠江に打ち出る、重次此時は榊原大須賀と、濱松の城に留りしが、重次我等が留守の料に、いざ、間近…
- p003…わけて、三河遠江に打ち出る、重次此時は榊原大須賀と、濱松の城に留りしが、重次我等が留守の料に、いざ、間近き武田刑部入道信綱が、逍遙軒と號す、陣…
- p003…三手の勢を合せて、九月十日信綱が陣取つたる森の里に押寄せ、散〱に打破り、重次人々に向て、信綱負けぬと聞かば、こゝかしこの敵、一定助けにや來るべき、勝…
- p003…、殘る敵を追拂ひ、辛き命は生きてけり、同き四年六月十一日、寄騎の士百騎、重次が手に屬せらる、同き七年八月、三郞殿の御事ありて後、重次仰を承り、岡崎の…
- p003…、寄騎の士百騎、重次が手に屬せらる、同き七年八月、三郞殿の御事ありて後、重次仰を承り、岡崎の城を守る、高天神の城落し時、重次が手に打とる首十八、十餘…
- p003…、三郞殿の御事ありて後、重次仰を承り、岡崎の城を守る、高天神の城落し時、重次が手に打とる首十八、十餘人を生捕す、同き十年の春、武田亡ひ、同き夏織田殿…
- p003…同じく彼國々爭ひ玉ふと聞えしかば、其勢を引わけて、駿河國にや攻入らんと、重次沼津の城を守る、一說に、重次は江尻にあり、沼津をば松平周防守康親守れ…
- p003…ば、其勢を引わけて、駿河國にや攻入らんと、重次沼津の城を守る、一說に、重次は江尻にあり、沼津をば松平周防守康親守れりといふ、不審案の如く、九月…
- p003…案の如く、九月廿五日、北條の軍勢、韮山の城より打て出て、戶倉山に至る、重次逆寄にして打破り、韮山の城戶口まで追詰て、首三十餘を切て引返す、同き十二…
- p003…山の城戶口まで追詰て、首三十餘を切て引返す、同き十二年小牧に陣し玉ふ時、重次伊勢の國星崎の城を守る、蟹江の城を攻られしに、先陣して、城を攻おとす、頓…
- p003…おとす、頓て秀吉信雄、中直りし玉ひ、信雄に就て於義丸殿を養君とし玉ふ時、重次が子仙千代丸も、石川伯耆守數正が子と同く、附て參らす、抑此於義丸殿と申は…
- p003…す、抑此於義丸殿と申は、德川殿の御二男、故ありて、生れ落させ玉ひしより、重次とりて養ひ參らす、此年御とし十一になり玉ふが、都に登らせ玉ふ事を、御名殘…
- p003…るとは披露あれど、內々は人質とし、德川殿に親しくならん謀にてありければ、本多は殊に彼家譜代のおとななり其子を參らせし事こそ嬉しけれと、悅び玉ふ事斜な…
- p003…らふべしとも覺えず、死なば一所にこそ死なめとて、忍ひて大坂に上らせ玉ふ、重次いや〱仙千代丸、都に置て、人の疑ひ受けん事も詮なし、たゞ獨ある子失はれん…
- p003…ぬ、幾程なく、石川伯耆守數正は、德川殿に背きて、秀吉の御方に參る、扨こそ重次が二心なき所顯れて、誠に思慮深くは見えけれ、斯て關白殿の仰にて、仙千代丸…
- p003…て關白殿の仰にて、仙千代丸とく參らすべしと、守殿よりの御使、度々に及ぶ、重次も詮かたなく、是もいたはる所の候、且は母が病も、年頃この子戀慕ひし故なれ…
- p003…身代に、此者參らするとて、甥の源四郞富正を參らす、關白殿安からぬ事なり、本多めに、たばかられたりけりと、怒たまふ事大方ならず、かゝりし程に、また東西…
- p003…信承りて、此城を枕として討死仕るべき者に仰付らるべしと申ければ、やがて、重次召て岡崎の城を給り、數百騎の兵を屬らる、此時重次が御暇乞申しゝ氣色、生て…
- p003…べしと申ければ、やがて、重次召て岡崎の城を給り、數百騎の兵を屬らる、此時重次が御暇乞申しゝ氣色、生て再び見參すべしとも見えされば、其志を感じさせ給て…
- p004…れに留めさせ玉ふべしとて、大廳を下し給ひしかば、岡崎の城に入れまゐらせ、重次これを守る、井伊大久保も同じく御後にとゝまる、…
- p005…此時重次下知して、大廳のおはしますほとりに、薪を積むこと、山の如し、こはそも如何…
- p005…都より御下り有て、是にまします御方を、盡く燒殺し申さん料の薪とかや申て、本多殿の下知として、日々に山林より切て來り候が、この本多殿と申は、極て氣の短き…
- p005…ん料の薪とかや申て、本多殿の下知として、日々に山林より切て來り候が、この本多殿と申は、極て氣の短き人にて、殿の御歸り、おそし〱と侍かねて、けさ火を附う…
- p005…と、下郞等は申事にて候と云ひしを、女房達に、斯といへば、あな悲しや、その本多といふ男が、日々に參りて、おそろしげなる、こわねにて、家康より玆につけ參…
- p005…御供したるを、殿下の御覽じて、あれは家康がうちにて、三奉行とか云ふうちの鬼作左衞門と云ものゝ子ぞと仰ありしかば、おそろし〱、鬼も子を生むにや、鬼の子は如何…
- p005…ひければ、女房たち淚を流し、なさけなくも、御母上を下したまひしものかな、鬼本多とかやが、かくこそいふたれ、とこそ計らうてさむらひつれ、今は朝日の姫君を…
- p006…國々を打て下り給ふべし、御陣のために、海道の城々を借しまゐらすべしとて、重次と佐渡守正信とに奉行せさせ、修理の事仰下さる、同き三月關白殿岡崎の城に入…
- p006…とに奉行せさせ、修理の事仰下さる、同き三月關白殿岡崎の城に入玉ふ、此城は重次守る所なれど、御迎にも參らず、城へ入らせ玉ひし後も、見參にも及ばず、關白…
- p006…、見參にも及ばず、關白殿より加藤遠江守を御使にて、三度まで召しけれども、重次は關白殿に見參して申べき用もなし、御免あらんとて、終に參らず、…
- p007…府の城に入りたまふ時、德川殿長久保の御陣より參り玉ひ、御對面の儀ありて、重次此所に參りて、關白殿御家人あまた居並たる所にて、德川殿の御後より參りて、…
- p007…打向ひ玉ひ、今の老人が申たるやうを聞たまひてこそ候らめ、あの老人と申は、本多作左衞門重次とて、家康が累代の家人、家康が幼なきより仕へぬ、年若きうちより、弓矢うち…
- p007…ふるまふべき、人々の思ひ給はん所、耻しう候と仰ければ、在あふ人々一同に、此人の事、久しく承り及ぶといへども、見及びしは、今こそ始なれ、誠に聞しにまさ…
- p007…ども、かゝる御家人の候事、奧ゆかしう覺えて候と、色代せしと云、按ずるに、重次此度海道の城に修理の奉行たり、此城借し玉ふ事、いかで知らざるべき、然るに…
- p007…々の集りし所にして、思ふやうに云ひちらしたる事、誠にさる智ふかき人なり、重次にあらずしては及ぶまじ、されば此說あやまるべからざるにや、小田原へい…
- p007…あらずしては及ぶまじ、されば此說あやまるべからざるにや、小田原へい、重次二の先にて、むかひしといふ說あり、…
- p008…程なく北條亡び、關東を以て、德川殿知行有べしと定められし時、關白殿むかし本多が秀吉をたぼかつて、れのが子を取返し、此度また秀吉が下向の時、對面すべき…
- p009…民百姓等に至るまで、その程々に從ひて、祈らぬ神佛もなく、立てぬ願もなし、重次御枕に取つきて、泣〱申けるは、殿も定て覺えさせ玉ひなん、重次がむかし此病…
- p009…ぬ願もなし、重次御枕に取つきて、泣〱申けるは、殿も定て覺えさせ玉ひなん、重次がむかし此病をうけしに、たち所にしるし得し良醫の候、彼を召して見せ試み玉…
- p009…た死を决す、この上醫療其詮なし、且つは命をしむに似たりとて、用ゐ玉はず、重次大に怒て、かほど大事の腫物かろ〱しく思召し侮つて、事急なるに臨めばこそ、…
- p009…き命かな、諸醫術盡きぬと申す上は、彼等いかでか治しまゐらすべき、年老たる重次が、御跡にさがつての御供、かなふべからず、さらば御先へ參らんとて、御前を…
- p009…仰ければ、近く侍らふ人々走り出、引とゝめ仰らるべき旨あらせられ候といふ、重次大に聲を怒らして、最期の暇乞て、まかり申者を、見苦しい、殿原の止めやうや…
- p009…候、その人を止めよとの御使が、えこそ止めぬと申せとは、おとなしくも候はぬ本多殿と、云はれて、げには、さも候とて、御前にまゐる、德川殿、汝は物に狂ひて、…
- p009…き死の供せんとする事やあると、仰せければ、いや〱、夫は人に依ての事に候、重次も今少し年だに若く候はんには、仰せ迄も候はず、犬死せん人の御供、其詮なし…
- p009…今少し年だに若く候はんには、仰せ迄も候はず、犬死せん人の御供、其詮なし、重次若年の昔より、こゝかしこの軍に從て、眼射られ、指落され、足切られて、負は…
- p009…れ、指落され、足切られて、負はぬ手も候はず、人のかたはといふ程のかたは、重次が身ひとつに、餘つて、世に交らん事、叶ふべき身ならず、殿の御情ふかければ…
- p009…筋をも射出す事かなふべからず、當家亡されん事、また踵をめぐらずべからず、重次夫迄ながらへて、あの年寄たるかたは者は、德川殿の譜代にて、何がしといはれ…
- p009…も、一日も生殘て、後の事よきに計らふべしと、存ずるや、いなやと仰ければ、重次が申むねに任せられんには、重次いかで又仰をや背くべきと申す、さらば醫師め…
- p009…計らふべしと、存ずるや、いなやと仰ければ、重次が申むねに任せられんには、重次いかで又仰をや背くべきと申す、さらば醫師めさせよとて召さる、醫師やがて參…
- p009…ば醫師めさせよとて召さる、醫師やがて參て、御灸治よろしかるべしと申せば、重次艾とつてすうる、御炙の痛み覺えさせ給はねば、艾を增し加ふる事多くして、後…
- p009…、御腫物潰れて、膿水血おびたゞしう流れ出て、御惱み立ち所に輕ませ玉へば、重次は嬉し泣きに聲をかぎりに泣く、御前伺候の人々も、感淚を共に流しけり、此人…
- p009…重次は嬉し泣きに聲をかぎりに泣く、御前伺候の人々も、感淚を共に流しけり、此人かゝる奉公の事とも、世に傳ふること多し、盡く記るすに暇あらず、大畧をしる…
- p010…飛驒守成重なり、童名は仙千代丸、成人して丹下と申し、相州小田原の御陣に、重次成重後陣に在り、重次籠居せし後は、成重も出仕を止めて、籠り居ぬ、關が原の…
- p010…は仙千代丸、成人して丹下と申し、相州小田原の御陣に、重次成重後陣に在り、重次籠居せし後は、成重も出仕を止めて、籠り居ぬ、關が原の合戰には、御後にぞ陣…
榊原 第四上 · 2
大久保 第四中 · 2
高力 第十一 · 1
- p001…奉行職を置て國中の事を治めらる、清長第一に選ひ出されて其職に任じけり、本多作左衛門重次天野三郞兵衞康景と共に三人去程に遠江國の住人久野三郞左衞門宗能が籠つ…
天野 第十一 · 2
索引は本文を読んで人物・地名などに項目IDを付けたものです(標本点検の適合率約98.6%)。同名の別人は括弧で区別し、本文表記と異なる比定は注記に記しました。 詳しく