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武蔵川越城
本文表記 河越の城・武藏國河越の城・武州河越の城・武藏國川越の城・武藏の河越の城
松平(長澤) 第二 · 1
- p004…切て懸け、九州の事共、能く沙汰して、同四月關東に歸りぬ、十六年正月五日、河越の城に移り、所領倍し給ふ、六万石廿年十月、侍從に進み、正保四年また所領…
大久保 第四中 · 1
- p009…勝に預られ訖んぬ、子息右京亮、同主膳正二人、酒井備後守忠利を預人として、武州河越の城に召禁らる、然りといへども、大久保累代の功、沒すべからざる故に、故加賀守…
酒井 第五 · 2
堀田 第六 · 1
- p003…程なく加判の事御免ありて、世には御近習出頭といひしなり、同十月廿二日武藏國河越の城を給ふ、三万石十五年、正月十一日、信濃國松本の城に移る、七万石、…
佐竹 第八下 · 1
- p001…子從四位上右馬頭兼大膳大夫義篤、天文の頃、古河の御所晴氏朝臣の御方して、武藏國河越の城を攻め、北條左京大夫氏康と戰ひ、御方利なくして引返す、義篤が子右京大夫義…
北條 第十一 · 5
- p001…北條左衞門大夫と召さる、家の系圖には綱成氏康の舍弟の由見ゆ覺束なし武藏國河越の城は大事の所にあるなれば、氏康が身を分ちてこそ守らしめゝとて、この左衞門大…
- p001…政、古河殿を公方晴氏かたらひ參らせて、東國の軍勢八万餘騎を引具して河越の城に押寄す、相摸國の通路さし塞ること凡そ二年、城中の兵粮盡きて餓死せんとす…
- p001…、落ちんず氣色はなかりけり、天文十五年四月廿日の日に至て氏康其勢八千人、河越の城に後卷きし寄手の陣に押寄せ、竪さま橫さま切つて廻る、綱成かくと見るよりも…
- p002…、綱成が弟福島辨千代丸、この年十六歲是も氏康の寵を受く、綱成氏康の命蒙て武藏の河越の城を守り、上杉に背きし侍五百人を召出し、己が此度賜りたる所領、悉くに分ち與…
- p002…一々に取りて城中に込む、天文七年の秋綱成廿四歲の時、上杉が八万騎押寄せて河越の城を攻む、氏康謀を運らして後卷せんとす、因て謀を城中に通ぜんとするに寄手の…
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