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永井直勝
本文表記 直勝・永井右近大夫直勝・永井右近大夫・永井傳八郎・右近大夫大江直勝・傳八郞・永井傳八郞・永井傳八・傳八・永井右近・永井右近直勝・右近大夫直勝・永井傳八郞直勝・永井
本多 第四上 · 1
- p007…は鳥居おまつ、井伊万千代、内藤新五郎、都筑龜藏、松平十三郎、菅沼小大膳、永井傳八郎、長田瀨兵衛、松平小源太、都筑長三郎、三浦お龜、靑木長三郎、侍都合三十四…
永井 第五 · 29
- p001…右近大夫大江直勝は、長田平右衞門直吉が男なり、系圖并に諸傳記には、皆重元といひぬ、林…
- p001…傳記には、皆重元といひぬ、林道春が選し石表には、直吉と見えたり直勝が祖父喜八郞廣正、岡崎の贈大納言家に仕へ、三河國大濱村上宮社田を領す、德…
- p003…廣正死して直吉つぐ、直勝幼き時、三郞殿に近くめしつかはる、…
- p004…世に傳ふるは、信康ぬし踊りといふ事を深く好せ玉ふ、直勝その頃は傳八郞と申て、童なりしが、其事に堪能なりし故に、御寵愛深かりしと…
- p004…世に傳ふるは、信康ぬし踊りといふ事を深く好せ玉ふ、直勝その頃は傳八郞と申て、童なりしが、其事に堪能なりし故に、御寵愛深かりしといふなり、…
- p005…三郞殿御事ありて後、德川殿召て名字改めさせ、永井傳八郞とめさる、…
- p006…衞門重元は、宗元が十一代の孫なり云云、〇按ずるに、夏目が記の如くなれば、直勝もと永井にはあらず仰を蒙り改めて稱號せし所なり、世に傳ふる所は本姓大江に…
- p007…參り給ひければ、御供の人々の座を分ちて、右大臣殿自ら配膳して酒たびし時、直勝も其座に請じ入れらる、これより德川殿、都のあたり御歷覽ありしうち、織田殿…
- p007…へ歸らせ玉ふとて、伊勢國より御舟に召され、三河國大濱に着かせ玉ひしかば、直勝が父直吉、おのが家に入れ奉て、御餉すゝめ參らす、直勝御供に侍ひて、凡そ路…
- p007…に着かせ玉ひしかば、直勝が父直吉、おのが家に入れ奉て、御餉すゝめ參らす、直勝御供に侍ひて、凡そ路次の警衞怠らず、同き十二年四月九日、長湫の合戰に、直…
- p007…勝御供に侍ひて、凡そ路次の警衞怠らず、同き十二年四月九日、長湫の合戰に、直勝年廿二歲、敵の大將池田紀伊入道勝入が首とつて、見參に入る、即ち其賞を行は…
- p008…山中忠兵衞が記にいふ、後に聞しに、勝入をば安藤彥四郞鎗にて突く、永井傳八斬て伏せ首を取る、傳八が手をば御方の者の切しなり、彥四郞は猶進て、池田庄…
- p008…ふ、後に聞しに、勝入をば安藤彥四郞鎗にて突く、永井傳八斬て伏せ首を取る、傳八が手をば御方の者の切しなり、彥四郞は猶進て、池田庄九郞が首を斬ると云云、…
- p008…が事なり、又彥四郞とあるは、後に安藤帶刀といひしが事なり、又同記に曰く、永井右近に千石の地を給ふ、信雄は五千石給ふべきよし仰せられしに、家康が家人にさ程…
- p009…しかば、德川殿も肥前の名護屋に趣かせ給ふ、太閤德川殿の御陣に成らせ給ひ、直勝を御覽じ、あれは誰とか申すと尋ね給ひしに、永井右近直勝と申す、勝入が首取…
- p009…德川殿の御陣に成らせ給ひ、直勝を御覽じ、あれは誰とか申すと尋ね給ひしに、永井右近直勝と申す、勝入が首取たるは汝か、双なき勇士、御さんなれと、仰られしを、羨ま…
- p009…き勇士、御さんなれと、仰られしを、羨まぬ人もなし、同き四年三月廿日大閣、直勝に從五位させ、豐臣の姓をゆるさる、關が原の合戰の時、御所の御右に陣して大…
- p009…るに、德川殿、この人につきて、前代柳營の故事ども尋ね問せ玉ふ事ありしに、直勝御使に擇ばれて、常に彼の許に行き向て其事を傳ふ、當代の禮節、多くは彼の入…
- p011…大坂前後の軍に、直勝が手勢六千人を引具し、大御所に屬ひ奉る軍終て後、諸手の人々の高名不覺を御…
- p011…引具し、大御所に屬ひ奉る軍終て後、諸手の人々の高名不覺を御糺明ありしに、直勝が手の兵は、直勝が沙汰たるべき由を仰下されて、御糺明にも及はず、當時の面…
- p011…屬ひ奉る軍終て後、諸手の人々の高名不覺を御糺明ありしに、直勝が手の兵は、直勝が沙汰たるべき由を仰下されて、御糺明にも及はず、當時の面目是に若く人あら…
- p011…池田紀伊入道の息輝政の參議、大御所の聟君と成て後、見參のついでに、御內に永井右近大夫と申すが候ふなる、所領いか程をや賜ふらんとありしかば、五千石を賜ふと仰ら…
- p011…れし程に、忽に笠間の城に七萬石の地添て賜ふといふ、誤れるにや、按するに、直勝に祿多く給べとありしは、信雄卿なり、入道を討し事を譽め給ひしは太閤なり、…
- p011…に祿多く給べとありしは、信雄卿なり、入道を討し事を譽め給ひしは太閤なり、直勝次第に大名と成し事、皆本文の如し、五千石を賜ひしは、關東へ入らせ玉ひし時…
- p011…は大坂の兵起るべき一年前、慶長十八年の正月に卒せられき、其後三年を經て、直勝に笠間を賜ひしなり、又笠間を賜ひし時、三万二千石をこそ領したれ、七万石に…
- p011…いふ數を知らず、同き五年、福島左衞門大夫正則、罪あつて、國を除かれし時、直勝御使として行向ひ、事故なく、安藝備後等を收取る、此年常陸の柿岡土浦等の地…
- p011…、御使承り、行向てかの領せし地収取る、かゝる所に本多また罪蒙る事あつて、直勝、鳥居左京亮忠政鳥居時に最上が地を領せし初なり、仰を承り、正純こゝ…
- p011…最上が地を領せし初なり、仰を承り、正純こゝより由利の地に流さる、此年直勝、下總國古河の城に移る、二万石を加へられて、七万二千石を領す、年六…
- p012…明る五年三月廿七日卒す、四十七歲、其子伊賀守尙富つぐ、日向守大江直清は、右近大夫直勝が二男、大坂前後の戰に從つて、五月七日、よき首一つ切て獻る、父卒して父が…
朽木 第六 · 1
- p003…り、此後德川殿に仕へ、三人の男子、皆召仕はる、大坂の兵起し時、元綱父子、永井右近大夫直勝が手に屬す、再ひ兵起りし時、仰を承て久良伽利を守らせらる、大御所かくれ玉…
池田 第七上 · 1
- p006…敵は間近く追詰めたり、これまでとや思ひけん、胡床に坐して、かたきを待つ、永井傳八郞直勝、おち合て首を取る、年積て四十九歲、嫡子紀伊守之助、生年廿六歲安藤彥四郞…
細川 第七下 · 1
- p013…德川殿、此人に就きてこそ、前代の事をも問ひ、當世の禮をも講ずべけれとて、永井右近大夫直勝を御使として、武家の規式、悉く受け傳へさせ給ひたり、されば當世の禮節は、…
福嶋 第十二上 · 2
藤田 第十二下 · 1
- p001…事は平ぎける、德川殿この由を聞召され藤田が許に御使大久保七郞右衛門尉永井右近大夫なり給て、家康が家人面目を失はざりし事、信吉の計らひに依る所なりと仰せ…
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