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片桐且元
本文表記 直盛・片桐・片桐市正且元・且元・市正且元・市正直盛・東市正直盛・助作
小出 第十上 · 4
- p004…終に世に交らず慶長九年に至て六十五歲にして卒す、初め太閤小出播磨守秀政、片桐市正且元を以て、秀賴の御傳になさる、薨し給はん際に臨て、彼の二人を御枕近く召され…
- p004…太閤薨し給ひて幾程無く、奉行等が頻に德川殿を失ひ參らせんと謀る事を、秀政且元深く歎き思ひしかど、制し止めんとするに力及はで、秀政は病と稱して己が岸和…
- p004…人他人の例に準ずべき者ならねば、吉政丹後を攻めしこと何の御咎もなし、其後市正且元も、かの仰せ置かれし御言葉を思て、秀賴の御母子を諫め參らせし者なりと或書…
- p004…給ふ故に、自ら我家の事をば顧み給はざりし者なりと云ひしに非ずや、若くは又市正且元が兼て大坂の軍起らんとせしことを知て、去る勇々しき人なれば、常に斯くこそ…
織田 第十下 · 4
- p003…、入道其後は淀殿の所緣に附き大坂に下り住はれけり、同き十九年の秋大御所、片桐市正且元を駿河に召され、仰下さるゝ旨あつて大坂に歸る、片桐が計る所、秀賴の御心に…
- p003…年の秋大御所、片桐市正且元を駿河に召され、仰下さるゝ旨あつて大坂に歸る、片桐が計る所、秀賴の御心に叶はず、せんずる所、片桐を切て軍起されんや否やと、…
- p003…さるゝ旨あつて大坂に歸る、片桐が計る所、秀賴の御心に叶はず、せんずる所、片桐を切て軍起されんや否やと、この入道を召て議せらる、入道承て今天下の大名を…
- p003…に任せ給ふ所なりとて、軍起さるゝにぞ極つたる、入道又如何が思ひ返しけん、片桐が許に竊に使立て、有りし事共一々に告げ知らせ、我身は夜に入て風雨に紛れ、…
片桐 第十下 · 22
- p001…出雲守源孝利は、初名は元包東市正直盛が、後名は且元男なり、六孫王經基の御子下野守源滿快朝臣の曾孫信濃守…本書では直盛表記
- p001…出雲守源孝利は、初名は元包東市正直盛が、後名は且元男なり、六孫王經基の御子下野守源滿快朝臣の曾孫信濃守爲公、信濃の國伊奈…
- p001…大納言長政卿の御事元龜四年直貞に給はりし感狀ありといふこれ則ち市正直盛主膳正貞隆が父なりけり、直盛初め助作と申して豐臣家に仕へ、近江の國志津が…
- p001…直貞に給はりし感狀ありといふこれ則ち市正直盛主膳正貞隆が父なりけり、直盛初め助作と申して豐臣家に仕へ、近江の國志津が嶽の合戰に、高名七人が其中に…
- p001…はりし感狀ありといふこれ則ち市正直盛主膳正貞隆が父なりけり、直盛初め助作と申して豐臣家に仕へ、近江の國志津が嶽の合戰に、高名七人が其中にて、所…
- p001…御傳として大坂の城に在り、慶長十八年秀賴公の仰せとして所領の地加へ賜ふ、直盛關東の御旨を憚りて固く辭す、此年九月二日駿河の國府に參る、大御所彼が見參…
- p001…れば十九年の夏、大佛殿修造の事につきて、大御所の御氣色よからずと聞いて、直盛駿河の國府に參り向ひ、一々に申し披き東西の御中和らかせ給はんやうを、深く…
- p001…らかせ給はんやうを、深く謀り遠く慮りて三の策を獻る、大御所大に悅はせ給ひ直盛を返されたり、直盛が計ひ、偏に關東に心を合せ、當家を傾けまゐらせんとする…
- p001…、深く謀り遠く慮りて三の策を獻る、大御所大に悅はせ給ひ直盛を返されたり、直盛が計ひ、偏に關東に心を合せ、當家を傾けまゐらせんとする所なりと讒し申す人…
- p001…とする所なりと讒し申す人ありしかば、秀賴公御母子、大に怒らせ給ひ、さらば直盛召して速に首を刎られ、天下の軍勢を催して、軍起させ給ふべしとぞ議せられた…
- p001…て速に首を刎られ、天下の軍勢を催して、軍起させ給ふべしとぞ議せられたる、直盛此由を聞きてさしもこの年ころ二心なく忠貞を存ぜし甲斐も無く、讒者の實否を…
- p001…向けられ討たるべしとて、城中既に軍起らんと、ひしめく古き者共色々に拵へて直盛が父子兄弟、事ゆゑなく城を去ておのが所領茨木に引籠る、大御所この由を聞召…
- p001…おのが所領茨木に引籠る、大御所この由を聞召し、彼が兄弟に御敎書をなされ、直盛が計ひ徒らになりて世既に亂れぬる事を歎かせ給ひ、其後も御使を賜て訪らはせ…
- p001…はせ給ふこと度々に及び、間も無く打て登らせ給ひし時、先づ彼が兄弟を召さる直盛畏て辭し申しけるは、初めに計り申すところ、空しく成つて東西既に御不快の事…
- p001…り、程なく東西御和順ありて、天下無事に屬しければ、明る元和元年四月の初、直盛駿府に家を移す、再ひ軍起りしには直盛病に伏す、子息孝利も父が病看んとて駿…
- p001…に屬しければ、明る元和元年四月の初、直盛駿府に家を移す、再ひ軍起りしには直盛病に伏す、子息孝利も父が病看んとて駿府に止る、同五月八日秀賴公御母子の御…
- p001…父が病看んとて駿府に止る、同五月八日秀賴公御母子の御事ありし後、同廿八日直盛卒しぬ六十歲とぞ聞えける、…
- p002…世の人は直盛君に背きし故に、忽に天罰かうむり三十日を越えずして死しぬと云ふ、我思ふに…
- p004…孝利が所領四万石と記せる記あり、不審、直盛が遺領は三万二千石なるべし其後加恩の事ありしにや…
- p005…べし、年は三十八歲にて卒せし也嗣なし舍弟半之亟爲元に別に所領の地給て、直盛が家つがせらる一万石爲元年四十四歲承應三年に卒す、其子助作父に繼ぐ…
- p006…主膳正源貞隆は、孫右衞門尉直貞が二男、市正直盛が弟なり、初め豐臣家に仕へ、播磨國三木の城にして能き敵と組て首取る秀吉公…
- p006…御感に預り、頓て播磨の揖東郡にして所領の地賜る、大坂の兵起りし初め、舍兄直盛と同く攝津の國茨木の地に引籠り、將軍家に召出され再ひ兵起りしには關東に留…
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