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真田信繁
本文表記 幸村・源次郞幸村・左衞門佐・眞田・源次郞・眞田左衞門尉幸村・眞田父子兄弟・左衛門佐幸村
越前 第一 · 2
本多 第四上 · 1
- p010…もの十六騎、疵蒙るもの百六十人、後年五月七日、成重が三百騎、眞先に進み、眞田左衞門尉幸村が陣を打破り、みづから敵二騎切ておとし、郞徒等が切所の首百七十三、城門を…
上杉 第八下 · 3
眞田 第九上 · 15
- p003…を失ひ、後悔また及ひ難し、昔の罪を宥められ、今の難を救ひ給はんには、子息源次郞幸村して、永く御家人の列に隨はしめ、また侍百騎、常に御陣に從つて、御馬の草、…
- p003…の城より引返せば、越後國の軍勢も、本國にぞ歸りける、昌幸大に悅ひて、二男源次郞幸村、十八歲になりけるを、越後國に參らす、景勝やがて信濃國屋代の鄕一千貫を幸…
- p003…村、十八歲になりけるを、越後國に參らす、景勝やがて信濃國屋代の鄕一千貫を幸村に賜りたり、幸村いまだ年若く候とて、矢澤但馬を代官とし、海野望月丸子が勢…
- p003…けるを、越後國に參らす、景勝やがて信濃國屋代の鄕一千貫を幸村に賜りたり、幸村いまだ年若く候とて、矢澤但馬を代官とし、海野望月丸子が勢數百騎を從かへさ…
- p003…き十七年十一月、景勝關白に見參の事ありて、再ひ都に登りしに、其隙を伺て、幸村を呼び返へし、關白家にぞ參らせける、景勝大に怒て、かの源次郞幸村を、急度…
- p003…、其隙を伺て、幸村を呼び返へし、關白家にぞ參らせける、景勝大に怒て、かの源次郞幸村を、急度返へし給らんと、頻に訴へ申されしに、殿下さま〱に御歎きありしかば…
- p005…、忠政か妻は岡崎殿の御娘なれば、信幸德川殿の御曾孫婿と成れるなり、源次郞幸村も、左衞門佐になされて、大谷の婿と成てけり、慶長五年、德川殿、奧の上杉討…
- p005…谷の婿と成てけり、慶長五年、德川殿、奧の上杉討たるべしとて、御下向あり、眞田父子兄弟、催促に隨ひ、打連て向ふ、下野國宇都宮の邊り、犬伏と云ふ所に至る、石田大…
- p005…所に至る、石田大谷等が牒狀、此所に到來せり、安房守是を讀み終て、まづ二男左衞門佐が方に差出す、幸村兄に向て色代す、信幸たゞ夫れにて見候へ、如何なる事にや…
- p005…牒狀、此所に到來せり、安房守是を讀み終て、まづ二男左衞門佐が方に差出す、幸村兄に向て色代す、信幸たゞ夫れにて見候へ、如何なる事にやあらんと云ひければ…
- p005…、君は年頃德川殿と、よからぬ御中にはべれば、秀賴公の仰にや隨ひ給ふべき、左衞門佐は、又大谷に、むすぼれたり、是も定て、上方へこそ參るべけれ、信幸內府の恩…
- p005…昌幸强て留むるに及ばず、父子兄弟、忽に引き別れ、信幸東へ參りければ、昌幸幸村、是より信濃へ引返して、西へこそ隨ひけれ、德川殿、此由を聞召し、御消息を…
- p005…、信幸が志を感し給ふこと斜ならず、中納言殿、山道より攻登らせ給ふ時、昌幸幸村、御勢を留め參らせんと計る、信幸先陣賜はりて、伊勢崎の要害、攻破て後、堅…
- p005…合戰終て、天下悉く德川殿に歸し參らせ、伊豆守信幸、勳功の賞に申替へて昌幸幸村、死刑をば宥めらる、信幸大に悅て、此由を告しかば、父子上田の城を出て、高…
- p005…を出て、高野山に遁れ、慶長十四年、安房守昌幸入道、年六十五歲にて死しぬ、左衛門佐幸村は、大坂の軍起りし時、子息大助、引具して、城中に籠り、類ひなき振舞して、…
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