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鍋島勝茂
本文表記 勝茂・鍋嶋・信濃守勝茂・鍋嶋信濃守勝茂・鍋嶋父子
水野 第三 · 4
- p005…られ候へと、云ひしにぞ、さらば攻めらるべきに定まる、其時細川越中守忠利、鍋嶋信濃守勝茂、一同に進み出て、忠利勝茂が陣取し所、無下に城近き所なり、二三の城をば、…
- p005…るべきに定まる、其時細川越中守忠利、鍋嶋信濃守勝茂、一同に進み出て、忠利勝茂が陣取し所、無下に城近き所なり、二三の城をば、まづ我等が手より攻め破て、…
- p005…に見えし處に、勝成るたけ高に成て、此城を只二手にて攻おとし給はんと、忠利勝茂の佳名こそ、ゆゝしかるべけれ、なれども、誰か又見物の場に集たる樣に、餘所…
- p005…め破るべき日に定めらる、かゝる所に、廿七日の朝、人々また信綱の陣に集る、鍋嶋既に城中に攻入るといふ程こそあれ、諸手一同に先を爭ひ、上を下へと、ひしめ…
黑田 第七上 · 1
- p003…ず、同き十五年の春、肥前の國嶋原の城を攻て、攻めおとし、同き十八年二月、鍋嶋と共に長崎戍衞の事を承る、承應三年二月十二日年五十三歲にして卒す、子息侍…
鍋島 第八上 · 27
- p006…慶長五年の秋、奧の景勝、御退治のため、御下向ありと聞えければ、直茂が子息信濃守勝茂、軍勢を催し、御跡を慕うて馳せ下る、かゝる所に石田三成、近江の國愛智川の…
- p006…に新關をすゑて、東國下向の軍勢を押止む、大坂の奉行等、秀賴の仰として書を勝茂に送て、抑も內府自らの家建ん事を謀りて、やゝもすれば太閤の遺命に背き、檀…
- p006…兵を起し、終に天下を亂る、早く其罪を正されんが爲に、天下の軍勢を召さる、勝茂かの凶惡に組する事なく、速かに大坂に馳せ參るべき由を載す、安國寺惠瓊、ま…
- p006…參るべき由を載す、安國寺惠瓊、また來て、秀賴の仰を傳ふる事、これに同じ、勝茂此由を聞て、勝茂內府に從つて軍せんと思ふも、秀賴の命を重んずるが故なり、…
- p006…、安國寺惠瓊、また來て、秀賴の仰を傳ふる事、これに同じ、勝茂此由を聞て、勝茂內府に從つて軍せんと思ふも、秀賴の命を重んずるが故なり、如何で違命の人の…
- p006…を攻む、親父直茂、本國に在つて、この由を聞き、大に驚き、下村左馬助を以て勝茂が許に使として、つら〱事の情を按ずるに、此度大坂の軍起りし事、幼弱の君の…
- p006…置れし如く、秀賴君に背き奉らず、内府の命を重んずべき所なりと制しければ、勝茂又大に驚き、我年いまだ若くして、事の情を察せず、かつは老母の大坂の城に渡…
- p006…べきとて、甲斐彌左衞門尉を、德川殿の御陣に參らせて、此由を陳す、爰にまた勝茂が親しう召使ひし久納市右衞門尉といふ郞等、密かに黑田甲斐守長政の陣に行き…
- p006…使ひし久納市右衞門尉といふ郞等、密かに黑田甲斐守長政の陣に行き向ひ、主人勝茂が、所存の樣、一々に陳べて、長政の計ひにて、罪なだめられん事を望む、年…
- p006…陳べて、長政の計ひにて、罪なだめられん事を望む、年頃長政の父如水入道、勝茂か父直茂と親しかりければなり、長政久納が志の程を感じ、井伊兵部少輔直…
- p006…康彼が父直茂と約せし事あり、如何で其約に違はんやとて、立所に罪ゆるされ、勝茂を御陣に召し、急ぎ本國に馳せ歸り、柳川の城、攻め破るべきよし仰せ下さる、…
- p006…柳川の城、攻め破るべきよし仰せ下さる、立花左近將監宗茂が居城なり、勝茂大に悅び、本國に馳せ歸り、父直茂と共に佐賀の城を打立ち、まづ久留米の城を…
- p006…押合せ、薩摩の國に發向す、嶋津また降を乞ひぬれば、戰ふに及ばず引返へす、鍋嶋父子、柳川にて打取る所の首六百餘、德川殿に參らせければ、御書を賜て、其功を賞…
- p006…て、其功を賞せられし上は、本領の安堵はいふに及はず、大坂の軍起りしには、勝茂馳上て城を攻む、再ひ軍起りし時、西國の軍勢は、嶋津が船出さざらん程は參る…
- p006…されしに依つて參らず、加賀守直茂、八十一歲にて、元和四年六月三日に卒す、信濃守勝茂家を繼き、寛永三年八月、四位の侍從に任す、同き十四年の冬、同國高來郡嶋原…
- p006…の侍從に任す、同き十四年の冬、同國高來郡嶋原の逆徒、原の城に立籠る、當時勝茂は、關東に伺候す、長男紀伊守元茂、三男甲斐守直澄、父の軍勢一萬餘人を率し…
- p006…き四日、松平伊豆守信綱戶田左門氏銕下向す、此後は只遠攻にす、同き十六日、信濃守勝茂、御暇を給て、本國に歸る二月廿一日の夜、城中より打て出で、鍋嶋が陣を襲ひ…
- p006…日、信濃守勝茂、御暇を給て、本國に歸る二月廿一日の夜、城中より打て出で、鍋嶋が陣を襲ひ攻む、鍋嶋が勢、防ぎ戰て、打取る所の首百餘、味方にも秀嶋四郞右…
- p006…を給て、本國に歸る二月廿一日の夜、城中より打て出で、鍋嶋が陣を襲ひ攻む、鍋嶋が勢、防ぎ戰て、打取る所の首百餘、味方にも秀嶋四郞右衞門尉討死し、侍の手…
- p006…にも秀嶋四郞右衞門尉討死し、侍の手負ふ者二十餘人、雜兵八十餘人に及べり、勝茂夜を日について馳せ下る、伊豆守信綱、同月廿八日を以て、寄手一同に城攻むべ…
- p006…廿八日を以て、寄手一同に城攻むべき由を下知す、かゝる所に同き廿七日の朝、勝茂が先陣、既に城を攻め破つて、打入る程に、諸手の軍勢、我れ劣らじと攻め入て…
- p006…れ劣らじと攻め入て、二三の城を攻破る、明る廿八日、城は難なく落してけり、勝茂が兵、討るゝ者百六十人、手負ふ者六百八十三人、勝茂父子が功、莫大なりと申…
- p006…城は難なく落してけり、勝茂が兵、討るゝ者百六十人、手負ふ者六百八十三人、勝茂父子が功、莫大なりと申せども、既に軍法を背きし上は、罪蒙て暫くが程は、籠…
- p006…、莫大なりと申せども、既に軍法を背きし上は、罪蒙て暫くが程は、籠居せり、勝茂七十八歲にて、明曆三年三月廿四日に卒す、嫡子肥前守忠直元和八年十二月…
- p007…紀伊守藤原元茂鍋島と稱す勝茂が長男、肥前の國小城の地を分ち領す、七万四千石承應三年十一月十二日…
- p007…十三歲、其子加賀守直能つぐ、其子紀伊守直賴甲斐守藤原直澄鍋島と稱す勝茂が三男、肥前の國蓮池の地を分ち領す、五万二千石寛文六年二月廿六日、…
- p008…刑部大輔藤原茂繼鍋島と稱す勝茂が四男、肥前の國鹿島の地を分ち領す、二万石承應三年十二月、和泉守に…
古田 第十二下 · 3
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