e026.p01校訂済41R:12–1341L:1–3別大久保藤五郞は越前の人なりしが、武者修行して三河に來り、吾姓を讓るべきは、宇津新八郞なり、とて大久保の姓を讓りしが、其印に功名せん、とて安祥の城攻に先駈して終に討死しけり。新八郞忠俊後に五郞右衞門といふ。今川義元討れて、東照宮大高を引かせ給ふ時、夜半に大雨にて士卒亂れけるに、忠俊御側に附添ひ奉り、度々乘返し詞を掛け、人衆を纏めて引退きけるとなり。