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○桶狹間合戰今川義元討死の事

卷之二 第3話 · 段落 1 · NDL 1078984 41コマ L

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永祿三年五月、今川義元大軍を率ゐ、織田信長を討つ。東照宮此の時陣せさせ給ひ、丸根の砦を攻め落し給ふ。今川家の軍兵も鷲津を攻落し、義元桶狹間に着陣せらる。信長は素より鳴海に打て出で、防戰せんとの志なり。老臣共、大敵なれば淸洲を守り給へ、と諫むれども聞き入れず、酒宴して猿樂に羅生門の曲舞を舞はせられし時、敵旣に攻來る、と告げ來る。信長少も騷がず、人間五十年、下天內を競れば夢幻の如し、といふ處を、押返し謠ひて忽螺を吹き立てさせ、物の具して主從僅に六騎、步卒二百人許駈出でて熱田の宮に詣で、願文を神殿に納めらるゝ中に、軍兵追續き來りけり。源大夫の祠より東を見れば、鷲津丸根攻め落されたりと覺えて黑烟立昇る。濱手は潮滿たれば、笠寺の東の道を一文字に進んで、砦々の味方に使を馳せ、其の兵を引き具し、中島の砦に至りて、我謀は、今川の大軍悉本道へ繰出し、旗本小勢ならん所へ、山陰より切つてかゝり、忽勝負を決すべき、と大音聲にて下知せられしかば、士卒皆競ひ勇みけり。旗を絞らせ山陰より桶狹間に打向ふ。義元は駿州の先陣打勝ちたりと悅び、酒宴して有りしに、折しも天俄に曇り、夕立うつすに似て風雷烈しかりければ、信長の兵掛り來る物音も聞きわかず。不意の戰に周章てたるばかりなれば、水野太郞作淸久一番に首を取る。義元の網代の輿を信長見て、敵の旗本疑なし、とて追立て〱戰はれしかば、義元も返し合せて戰はれしを、服部小平太鎗つけ、毛利新助其の首を取りたりけり。左文字の太刀松倉鄕の刀を分捕にすといへり。