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尾張清洲城
本文表記 淸洲・尾張の淸洲・尾州淸洲の城・淸洲の城
桶狹間合戰今川義元討死の事 卷之二 · 1
- p01…素より鳴海に打て出で、防戰せんとの志なり。老臣共、大敵なれば淸洲を守り給へ、と諫むれども聞き入れず、酒宴して猿樂に羅生門の曲…
淸洲にて東照宮信長公御對面の事 卷之三 · 1
- p01…永祿十二年尾張の淸洲にて、東照宮信長に始て御對面の時、他の刀持ちたる士式臺に止た…
秀吉東照宮に和を乞はれし事 卷之七 · 2
岐阜城攻の事 卷之十二 · 1
- p01…手に向はれけり。頃は慶長五年八月二十一日の未だ宵暗きに、公は淸洲を打出で、河田の邊に陣して、明くれば二十二日の曉に川涯に押寄…
福島正則領國を召放さるゝ始末の事 卷之十九 · 5
- p01…福島左衞門大夫正則は、關ヶ原の軍功に依りて尾張の淸洲より安藝備後を賜はりけるが、物荒く政惡きのみならず、多く無罪…
- p08…春に奉公し、後正則に仕ふ。鬼玄蕃と言はれし者なり。關ヶ原の時尾州淸洲の城に大崎を置かれけり。石田三成大垣の城に入りて、使を以て、福島…
- p08…使を以て、福島家は太閤の恩篤き人なれば、今度無二の味方に候。淸洲を明けられよ。兵を入れなん、とぞ謀りける。津田備中繁元は實に…
- p08…して斯くと小山に告げたりしかば、正則悅ばる。東照宮、正則に、淸洲の守に誰か有る、と仰せ有り。正則、大崎玄蕃を留め置きて候、と…
- p08…崎は世に譽れ有る者なり。さぞ有らん、と仰せられしが、其後も、淸洲を敵に取られざりしは大崎が功なり、と度々仰せ有りしとなり。紀…
森寺藤左衞門池田家興立の事竝森寺政右衞門武勇の事 卷之二十三 · 2
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