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○東照宮大高城へ兵粮を入れ給ひし事

卷之二 第1話 · 段落 1 · NDL 1078984 40コマ L

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今河義元尾張國大高の城に、鵜殿三郞長持を置かれけり。織田信長も所々に城を構へ、丹家には水野帶刀、善照寺には佐久間左京、中島には梶川、鷲津には飯尾近江守宗定、又丸根には佐久間大學助盛重を置きて、其の外寺部擧母廣瀨にも砦あり。大高に兵粮を入れなば、鷲津丸根に貝を吹くべし。寺部擧母廣瀨の砦より馳せ集り、丹家中島より後詰せよとぞ定められける。義元東照宮の御許に使をもて、大高に兵粮を運入れさせたまへ、となり。東照宮、心得候と仰せて、軈て打立ち給ふを、酒井石川等、信長の手當由々しく候。中々大高に兵粮入れん事思ひも寄らず、と申せども、聞召し入れられず。我に謀有り、とて先兵を分ち、福釜の松平左馬助親俊、酒井與四郞忠親、石川與七郞等四千許、永祿二年四月九日の夜半に、大高、鷲津、丸根を脇になし、寺部の砦へ押寄せよ、と下知し給ふ。東照宮は八百許の兵を率ゐ、兵粮米馬に取り積ませ、大高の城二十町許り脇に控へ給ひけり。先陣寺部に押寄せ、城中騷ぐ處を一の木戶口打破り、火を掛けて、又梅坪に押寄せ、三の丸まで攻入り、火を放ちて燒き立つる。其の焰天を照し、閧の聲響き渡りて聞えければ、丸根鷲津より是を見て、三河の敵遙々と踐み越えて攻め入りたるは、如何さま故有りと覺ゆるぞ。疾く後詰せよ、とて寺部梅坪に駈け向ふ。其間に東照宮麾を執らせ給ひ、米負せたる馬千二百匹打連れて、事無く大高に運び入れさせ給ひけり。丸根鷲津に殘る者共是を見れ共、大かた後卷に出でたれば詮方なし。東照宮軈て軍兵を引き纏ひ、岡崎に還らせ給ふ。人々今夜の謀略及ぶべきに非ず、と申しければ、聞召され、此甚知り易き手段なり。先づ思ひも寄らぬ寺部梅坪を攻めて火を掛け、丸根鷲津の軍兵を後詰に出させ、引き違へて兵粮を運び入れたりしなり。兵法に神速を貴ぶといひ、又其の不意に出づると言へる事有り、と宣ひければ、皆此殿臨濟寺の雪齋に兵書を讀み習ひ給ひしかども、斯る謀はよも出でじ。天性勝れて大將の道を得給へる、とぞ申ける。此れ十八の御歲の事なり。