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○東照宮三河國一宮城御後卷の事

卷之三 第3話 · 段落 1 · NDL 1078984 63コマ R

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東照宮三河の一の宮の城に本多百助信俊を守りに置かせ給ふ。永祿七年五月今川氏眞二萬餘の兵を以て圍まれけり。其の中八千を引分ちて、武田信虎を大將として後卷の防ぎにせられぬ。東照宮斯くと聞こし召し、早打立て一騎駈けに馳せ向ひ給はんと見えしかば、敵は味方に比ぶれば十倍も有らん。殊に信虎は聞ゆる勇將に候ふ、と老臣共諫めけれ共、其理は然る可からん。然れ共人は貴賤にも依らじ。信義の二つに因りてこそ身を立つる習なれ。敵の城攻め落し、其儘壞ち捨てなばさも有らんを、旣に味方を入れ置きて、今更敵大軍なればとて驚くべきや。主の大事は從者が救け、從者の危難は主の救くるは弓箭取る道なり。今は後詰に打負け、屍を戰場に曝すとも、運の盡きぬる所なり、と仰せければ、是を聞く人々、天晴賴敷き大將かな。此殿の御爲には命を捨てん事、露塵計も惜からじ、と勇み進む。其勢に乘りて二千許の兵にて後詰に打向はせ給ひ、信虎の八千にて控へたるを他所に見て、眞直に城際に押著け給ふ。城中競ひ悅ぶ事限なし。氏眞、然らば四方を取圍んで、一人も剩さず討取らん、と評定する。其の間に東照宮は百助を召具し給ひ、城を出て引返し給ふ。百助、今日の戰は身に賭けて勵むべく候、とて手の者四百餘をもて信虎の軍に駈け合せ、打破りて利を得たり。酒井左衞門尉忠次、石川伯耆守數正、牧野右馬允康成は後殿となる、追ひ駈くるほどならば忽ち切り崩すべき色現れて見えければ、氏眞も進み得ず。東照宮事なく歸陣せさせ給へり。此廿二歲の御時なり。