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○三好松永光源院義輝朝臣を弑する事

卷之三 第4話 · 段落 4 · NDL 1078984 63コマ L

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永祿八年三好義繼、松永久秀、大和河內より京に打ち入り、五月十九日辰の刻、光源院殿の館を圍み亂れ入りければ、防ぐ者共或は討れ或は自害す。沼田上野介と福阿彌と言ふ者、敵の相印竹の葉を腰に挿して、外より紛れ入り、光源院殿の御前に參り、我等二人を始として防ぎ箭仕り、思ふ程戰ひ候はん。其間に日比愛せさせ給ふ早足の御馬に召され、東川原に駈け出でさせ給はば、御運を開かせ給ふべき、と淚を流し申しければ、尤忠義の志神妙にも申しつるよ。然れ共汝等討死したる跡に殘り留る可きや、とて散々に防ぎ戰ひて終に自害有りける。其のきはに、
五月雨は露か淚かほとゝぎすわが名をあげよ雲の上まで
是釋の義俊光源院殿追善和歌の序に見ゆ、と扶桑拾葉に見えたり。然れ共童の名見えず。後に信長記を見しに、此人の姓名を記せり。小川の住人美濃屋小四郞とて、容貌世に勝れしが供したりしに、此變に逢ひて三條吉則の刀を抽きて、和泉が首を打落し、手許に進む者五六人切り伏せて、腹切つて死せし由見ゆ。