永祿八年三好義繼、
松永久秀、
大和河內より
京に打ち入り、
五月十九日辰の刻、
光源院殿の館を圍み亂れ入りければ、防ぐ者共或は討れ或は自害す。
沼田上野介と
福阿彌と言ふ者、敵の相印竹の葉を腰に挿して、外より紛れ入り、
光源院殿の御前に參り、我等二人を始として防ぎ箭仕り、思ふ程戰ひ候はん。其間に日比愛せさせ給ふ早足の御馬に召され、
東川原に駈け出でさせ給はば、御運を開かせ給ふべき、と淚を流し申しければ、尤忠義の志神妙にも申しつるよ。然れ共汝等討死したる跡に殘り留る可きや、とて散々に防ぎ戰ひて終に自害有りける。其のきはに、