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○信長公伊勢の國司を亡し給ひし事

卷之三 第14話 · 段落 1 · NDL 1078984 69コマ R

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永祿十二年信長伊勢の國司北畠中納言具敎を大河內の城に攻る。數月經て城强くして些ともひるまず。信長織田掃部介を使にして、信雄を以て具敎の子具房の養子として和平すべし、と言はせられしかば、人質を取るに同じ、とて和平事成りぬ。信長岐阜に歸り、二男茶箋丸十二歲なりしが、士數多附けて伊勢に行り、大河內に至りて國司に對面し船江にあり。具敎は世を具房に讓りて三瀨と言ふ所に閑居せられしが、尙信長に背く志有りければ、信長國司の家の者共を語ひ、天正四年十一月廿五日三瀨にて弑しけり。具房は信雄の養父なれば河內に押籠めて置きけるが、天正十六年に死去す。其の元祖親房卿より具房に至て十世に及ぶとなん。具敎の弟南都東門院の住僧なりけるが、具敎弑せられけるを聞き、南都を出て伊賀に赴き、還俗して北畠具親と稱し、三瀨河股多藝小梨の諸士を語ひ、仇を報ぜんとすれ共、利無くして中國に流落し、毛利家を賴み、備後の鞆に居たりけり。具親兵を起す時、天正六年信雄の兵波瀨峯の城を攻め落す。六呂木、山副、波多瀨三郞此の三人を生捕りたりければ、死罪にすべきと議せられしに、三郞が容貌世に勝れしかば、信雄救くべし、と言はれしを、三郞聞きて、三人同じく生捕られ罪又相同じ。二人死して一人救かる事面目なし。共に誅せられ候へ、といふ。二人は年老ぬ、惜むべき身に非ず。三郞は仰に從ひ候へ、と勸むれ共聞き入れず。遂に三人共に磔に懸けらるゝ時、三人、君の御爲に命を捨つる事士の思ひ出、面目之に過ぐる事無し、とて謠を唄ひ物語して誅せられけり。三郞此の時十五歲、惜まぬ人無かりしと言へり。玉井新次郞と言ふ者具親に心を合せ信雄に背きしが、父兵部少輔と母共に、神戶に隱れ居たりしを、搜し出して櫛田河原にて磔にせらる。兵部少輔子の新次郞を呼びて、汝今度君の御仇を報ひ、北畠の家を興さんと志しける事、士の本意吾生前の悅なり、とて水を乞ひて、父子三人盃を汲み交して、其の後殺されしとぞ。織田家の刑罰仁者の道に非ず。其の暴逆終を令せざる事理なり。