三方ヶ原の軍に甲斐の兵激しく追ひ駈けたりしかば、東照宮幾度と無く御馬を返し給ふ。大久保五郞右衞門忠次手負ひて步立になりしが、菅沼藤藏定吉に詞を掛くれば、忠次を馬の前輪に乘らせて退たりけり。後に菅沼に長光の刀を賜はりて賞せさせ給ふ。菅沼又引き返して追ひ來る敵を防ぎけり。天野康景、長坂源次郞、坂部又十郞等も踏み止まりて防ぎ戰ふ。大久保相摸守忠隣此時新十郞馬を射られ、步立に成りて危かりしを御覽じて、小栗忠藏久次後に忠左衞門と稱すに、新十郞若武者なり彼れ助けよ、と仰せられしかば、久次己が馬に忠隣を抱乘せて引き退く。敵透間無く追詰め奉りける武者有りけるを、野中三五郞重次返し合せて討取りければ、後に信國の刀を賜りぬ。畔柳助九郞御馬の側を離ねば、後に金の扇を賜りて賞せさせけり。猶敵手繁く追詰め奉りけるに、水野太郞作踏み止りて防ぎ戰ふを御覽じて、又御馬を引き返さる。成瀨吉右衞門正一は、兄が最後に汝は此邊の案內好く知れり。御供して恙なく引き取らせ奉るべき由云ひたりしかば、御側に附き奉りしが引き返して敵を追ひ退け、終に濱松の城に入らせ給ふ。鳥居彥右衞門元忠に御下知ありて、玄默口の御門を開きて引取る兵を入らせらる。假令敵慕ひ來るとも我籠る城に手易く討ち入るべきや。門を閉ぢずして篝火を所々に焚くべし、と仰せらる。此日は天曇り雪散りて寒氣殊に甚し。御供して馬より下り立ち、城中に入りし人は松平八郞三郞、1康定、松平彌九郞景忠、平岩七之助親吉、大久保忠隣、菅沼定吉、都築惣左衞門秀綱等なり。都築が妻粥を持せ來りて御供の人々に配り與ふ。後に衣服を賜りて賞美あり。今日敵の跡を踏んで戰はば勝つべきに、味方早り過ぎて心ならず敗軍しぬ。口惜き事なり、と仰せ有り。湯漬飯を侍女久野奉りければ、三度換へ給ひ、我疲れたり、とて御枕を傾ぶけられ、鼾かきて御睡りあり。山縣城近く攻め寄せ、門の扉をたつるに暇なしと覺えたり。如何に攻め入らばや、といふを、馬場美濃守聞きて、打負けて引取りたれば、門を閉ぢ橋をも引く可きに、左は無くて篝火白日の如し。若し謀ある可きか、輕々しく攻め入る可からず。德川殿は海道一の弓取りなり。好く見屆けてこそ、とて猶豫しける處に、城中より鳥居彥右衞門、渡邊半藏、同半十郞、櫻井莊之助、勝屋甚五兵衞を始めとして、屈竟の剛の者共百餘人突いて出でしかば、甲斐の兵虎口を引き退きて攻めざりけり。
- 誤植八郞三郞、 — 底本は「松平八郞三郞、康定」と読点を打つ。「松平八郞三郞康定」で一人か。