○東照宮勝賴と大井川にて御對陣の事
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一說、持船の城を攻落させ給ひ、保ち難し、とて燒き棄てらる。此の時賴勝沼1津の城普請、築地の上にて此の烟を見られしが、北條家の軍を後にして、九月二十日東照宮の御陣に打向ひ富士川を打渡す。東照宮客戰は危しとや御思慮有りけん、兵を還して大井川の伊呂を涉らせ給ふべきに定めさせ給ひしに、俄に惣軍騷ぎ立ちて鎭らず。牧野半右衞門制し止むれ共彌騷ぎしに、七郞右衞門忠世御旗本に大提燈を高く差上げさせ、士を附け置きて、我が歸るまで動く可からず、と言ひ含め、先陣に行きて御旗本は二の身を討ん、とて鎭りたり。其の證は彼の火の動かぬを見よ、と言ひければ、是れによりて鎭りければ軈て乘り歸り、先陣はよく鎭りて敵を待つ體なり。以後先陣の人々に嗤はるべし、と言ひければ、之もまた鎭りけるといへり。
- 誤植賴勝沼 — 底本「賴勝」。「勝賴」の文字順の誤りか。