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○菅沼定盈膽氣附山口五郞作後藤金助討死の事

卷之四 第30話 · 段落 1 · NDL 1078984 92コマ L

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天正二年勝賴兵を出して、菅沼新八郞定盈が新に構へたる城を攻めんとす。定盈が一族を嚮導として不意に押寄する。謀を知りたる者有りて告げ知らせけり。□月廿九日の曙に定盈が士共、大敵和田嶺本宮坂二筋に分れて攻め來り候間疾く退かれよ、と言ふを聞きて、一軍もせず迯げ落ちん事弓箭取る身の恥なり、といふ。人々永祿年中今川家より攻めし時は、西鄕孫九郞元正加勢たりき。今多からぬ士卒打ち散りたれば、早く城を出て運を開くの道こそ然るべからん、と雖も、定盈兵を出して敵の樣を見せしむ。山縣が軍競ひ來る由告げけるに、定盈厠に往きて謠曲を唄ひて出でず。足輕の頭山口五郞作强ひて諫めければ、厠より出で手を洗ひけるが、又湯をもて口すゝぎたる體常の如し。强ひて諫むれば南の廓より退きけるが、途中にて我等が伏所に火を掛けざる事後に敵に嘲らるべし。誰かは歸りて城に火を掛け、又日比愛したる鷹を携へ來るべき、と言ひも敢ぬに、中山與六十八歲なるが引返し城に戾り、火を掛け鷹を臂にして出でたりけり。定盈は宇利を經て西鄕へ赴きける。後を慕ひて與六海倉淵まで退きけるに、與六が一族後藤金助追つかけ來て、穢くも敵に後を見するよ、と詞を掛たりしかば、與六馬引返しむずと組みて、旣に金助が首を取らんとせしに、多嶺の士數多落ち重なりて終に討たれけり。山口は定盈が後殿して、主從三騎素絢瀨を涉る處に敵追ひ來る。山口引き返して敵數多射伏せたれ共、馬疲れければ敵は近く。鍬田村にかゝり吉祥山に赴く。敵猶追つかけ來れば、散々に射白らましけるが、馬動かざりける故、乘放ちて步立になり山にかゝる。箭二筋のみ殘れり。菅沼刑部鹽津傳助追つめければ射たれ共中らず、指添を抽いて手裏劔に打つ。刑部が頭上を打ちかすりたり。山口も終に其處にて討死し、其の墓今に在りといへり。