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○信雄長臣を誅せられし事

卷之六 第13話 · 段落 1 · NDL 1078984 122コマ R

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秀吉信雄を打亡さんと謀りて、先信雄の長臣岡田長門守、津川玄蕃、淺井田宮丸、瀧川三郞兵衞を招き、懇に遇して後、信雄に自害を勸めよ。然らば恩賞厚く行ふべし、と語られけり。聞き入れずば首を刎ねん氣色なる上、神文を書けよ、と責めらる。四人力無く、承りぬ、と言ひて起請文を書きにけり。秀吉も、約を背かじ、と神文を出されけり。是は一人宛語ふべきを、一同に招きたるは、信雄に告知する者有りて、殘る者を誅せさせんとの謀なり。又皆秀吉に實に心服せずとも、旣に神文を書きたれば、疑ひて一和すべからず、と思慮せられたるなるべし。瀧川素僧なりしを信長呼出し、四萬石の地を賜りし身なれば長島に歸られ、信雄に斯くと告げ申せば、頓て三人を誅せよ、とて長門は飯田半兵衞、玄蕃は土方勘兵衞、田宮丸は森源三郞と討手を定められけり。土方承りて、長門をば臣に仰せ附けられ候へ。打留申さん、と言ふ。飯田、旣に定りたる上は何の申條の有る可きぞ、と言へば、信雄、然らば長門をば土方討候へ。飯田は旣に下知したれば討ちたるに同じ、とて長門を土方に讓りけり。土方が斯く言ひけるに故あり。土方は始彥三郞と云ひけろが1、太く逞しく、胸より手足に至るまで毛生ひ熊の如くにて勇猛の士なり。長門常に土方に語りて、殿は人の申す事輕々しく信ぜられて、日比我を踈まるゝよ、と度々云ひけるを、土方、夫は戲か又は汝の心の違ひたるならん、と言へば、長門、否々此長門をば必ず誅せらるべし。其時汝討手なる可きよ。手易く討たるべき身に非ず、といへば、土方聞きて、討手の仰を承らんに、此勘兵衞ならで又誰か有る可き、と語りたるに、長門仰に因りて、此七つ胴切落したる脇差にて、汝が頭を斬り破らん、と云ひける詞に依て斯は申せしなり。天正十二年三月三日の禮に、岡田、信雄の前に出でけるを合圖とせられけり。岡田其日は脇差を橫たへて進み出る。信雄、新に造らせたる鐵炮を見よ、とて指出し、此臺尻の穴は何の爲ぞ、と問はるゝに、岡田少し差し俯く時、土方つと寄り引組だり。岡田、己をや、と言ふ儘に脇差を七八寸抽けれども、大力に强く抱かれて抽きも放たず捩合ひける處を、信雄、土方放せ、我自ら切らん、と詞を懸られしに、臣と共に斬せ給へ、とて放さず。信雄、放たざれば何時までも斬るまじ、と言はれしかば、土方岡田を突き放しざまに小脇差を抽いて指通せば、信雄透さず切つて殺されたり。津川は此騷ぎを聞きて走り來りけるが、信雄に行逢ひ刀を取延べて切りたりしに、廊下の長押に切つ附けたるを、飯田傍より刺殺しけり。淺井をば森討ち留めたり。是よりして秀吉と弓箭を取られけり。
  1. 誤植 — 底本「云ひけろが」。「云ひけるが」の誤植か。