稻葉治左衞門は
美濃齋藤家の士、戰場にて必ず眞先に獨進み出、芒の如くなる所に居ける故、世の人是を芒の
治左衞門と言ひけり。
澤喜藏は
美濃飛驒に隱れ無く、若き頃より功名有り。芋がら畠の鎗
澤一番なり、と言ふを、吾には非ず
稻葉なり、と云ひて、互に讓りて決せず。
澤は早く進みたれども
稻葉が母衣の手をしむる隙に先に乘込だり。實は一番
稻葉なり、といふ。人皆是を賞しけり。
有吉武藏が足輕鐵炮に鎗を持ち添へて鐵炮を搏ち、其上に壹番鎗を合せたるが、吾一番に非ず、
園部儀大夫が母衣の手を締むるを見て駈け出でぬ。
園部が一番なりと讓りしと同じ事にて、戰國に斯る士は稀なる事にこそ。